バブルの頃、僕はブラック会社で働いた(13)

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鉄ちゃんの話

僕は子供の頃から旅行が好きだった。電車に乗って何度も遠くへ旅に出た。車中二泊なんてのもザラだった。鉄ちゃんだったから一眼レフで電車や風景の写真を撮りまくった。

中学生の時、東京発大垣行の夜行列車で関西に行き、電車の写真を撮りまくった。その夜は夜行列車「南紀」で名古屋まで。台風が来てるとかで天気が悪く、列車の蛍光灯から雨漏りしていた。名古屋で乗り換えた東海道線もクーラーから雨漏りしていて新聞紙が突っ込んであった。駅から自宅までは大雨の中をずぶぬれになって帰ったんだけど、翌日は台風一過のいい天気だった。

国鉄急行くずりゅう

だけどテレビのニュースをみて驚いた。東海道線の富士川鉄橋が洪水で流されて不通になっていたんだ。帰りが一日遅れていたら中学生の僕は帰宅できずに途方に暮れていたかと思うとぞっとしたのを覚えている。

それでも旅行に出ると楽しくて、家に帰りたくなくて、親からは休みが終わる1日前には家に帰ってくるように言われてたけど、土壇場になると理由をつけてギリギリまで帰らなかった。だからホームシックっていうのが、ぜんぜん理解できなかったし、なぜみんなそんなに家に帰りたがるんだろう?って不思議だった。

埼玉で育ったから旅行先はどうしても東日本が中心になる。四国や九州には行ったことがなかった。中国地方は出雲に行ったことがあるくらいだったかな。鹿児島なんて、西郷さんと桜島くらいしか思いつかなかったしね。

幕末の話?今は昭和63年だよ。

ある日、坂本さんと雑談してる時に「好みの男性は?」と聞いてみたんだ。彼女はオシャレで岩崎宏美似の美人さんだったからさぞモテたと思うけど、彼氏はいないと言ってた。彼女は目を細めて、上目遣いに宙を見ながら、少し考えて言った。

「うーん、優しい人かな。」

そして、思い出したかのように、パッと僕の方を見て続けた。

「あ、お婆ちゃんが会津の男だけはダメだっていつも言ってた。お婆ちゃんのお爺ちゃんは会津に殺されたんだって。」

それって、幕末とか明治維新の頃の話だよね…何年前のこと?国内でこれなら、もっと後の戦争でこじれた外国との関係がまともになるのは、ずーっと先のことだなって思った。

この頃、リクルートコスモスの未公開株事件が話題になっていた。昭和天皇は病気で伏せっていた。日産セフィーロのCMで井上陽水が「お元気ですか〜?」って言うセリフが無音に差し替えられたりした。技術部長が「リクルートって、最近『我が社は人材派遣業です。』って言うようになったよね。不動産でイメージ落としたからなー。」なんて話していたのを覚えてる。

気がつけば、バイトを始めて一ヶ月が過ぎていた。

日経新聞の取材電話

多分、この頃だったと思うけど、何度か日経新聞から社長に電話があった。会社に昼間ずっといるのは僕と総務部長くらいだから、僕が電話を取ることも多かった。この頃には知らない人にも「お世話になっております。」とスラスラ言えるようになっていた。武本さんは基本的に夜しかいないし、飯田さんも夕方からの勤務だった。でも社長は電話を嫌がって居留守を使っていた。

ある日、何度目かで観念したのか社長が電話に出た。

「はい、もしもし。はい、はい、ええ、その件はですね…」

社長は日経新聞から電話取材を受けてるようだったけど、話し方は明らかに不機嫌だった。社長の机は事務所の隅にパーティションで区切られていただけだったし、僕は社長の机から近い場所に置かれたコンピューターで作業をしていたから、話し声は筒抜けだったんだよ。

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