バブルの頃、僕はブラック会社で働いた(14)

幻の湘南オフィス

社長は電話を切ると面白くない顔をしたままプイッと出かけてしまった。日経新聞の取材なんてすごいのに、なんで嫌がったり不機嫌になるのか不思議に思った僕は総務部長に聞いてみた。すると総務部長は僕に新聞記事のスクラップを見せてくれた。

「ソフト開発会社、湘南に開発オフィス」

鎌倉の海岸沿いのマンションにうちの会社のオフィスが新しく開設される、という趣旨の記事だった。僕は記事を読み終えると、視線を紙面から部長に移した。

「そうなんだ。すごいですね。」

総務部長は首を横に振った。

「違うよ。これは社長が買った投資用のマンションだよ。オフィスなんかに使ってない。だけど、ほら、いま人手不足でしょ?求人で人を集めるために、湘南のビーチリゾートにオフィスを構えるって、求人誌か何かに載せたんだよ。それがたまたま日経新聞の記者の目に留まって取材を受けたんだ。社長は調子のいいことをペラペラしゃべって、記事になったんだけど、その後、オフィスはどうなってますかって、日経新聞に何度も電話で聞かれてるんだよ。もちろん、実際にはオフィスなんかにしないからね、社長は話したがらないんだ。」

マンション転がしとかそういうやつなのかな、よく分からないけど。

仕事でのプログラミング

もともとは独学で趣味だったプログラミングで仕事をしてみると知らないことだらけだ。以前にもバイトでちょこっとだけアセンブラの仕事をしたけど、全然違う。まず「コーディング規約」があるし、厳しい。かっこの位置、if文の描き方、インデントの空白数など、すべてが細かく規定されていて、その通りにプログラムを記述しないと納品できない。コメントも量がすごい。すべてのソースファイルの先頭と関数の先頭に詳細なコメントを記載しないといけない。if文やswitch文にも理由をコメントする。ループは処理をコメントする。それと著作権表示をすべてのソースファイルにきちんと表記する。

学校では30人の学生がプログラムを書いたら30通りのプログラムがあるんだろうけど、実際の開発では30人が同じ仕様でプログラムを作ったら全員が同じプログラムを書くのが理想なんだって理解した。確かにその通りだ。読みにくかったりマニアックなアルゴリズムだったりすると、他人が理解できなくなる。学校や趣味ではではマニアックなプログラミングってかっこいい気がするけど、商業プログラミングとでもいうのか、いくら短くてコンパクトなプログラムでも、他人が理解できないのならそれはダメだというんだ。これには少なからずショックを受けたよ。自分がいかに狭い世界にいたのかを思い知った気がした。

折詰と酔っ払いとおみやげと

ある日の夕方、仕事をしている僕に総務部長が尋ねてきた。

「今日は何時まで仕事をするんだい。」
「昨日が遅かったので、今日は早めに上がろうと思ってますけど。」

僕が答えると総務部長は夕食に誘ってくれた。

「じゃあ、帰りに一緒に飯でも食いにいこう。」

この日は武本さんも休みで最後まで会社にいたのは僕と総務部長だけだった。会社の戸締りをして、日が暮れた街を総務部長についていった。そうして連れていかれた店は、会社の近くにある、小さいけどこぎれいな鮨屋だった。もちろん回っていない。

店に入るとカウンターに通された。慣れたように部長が注文する。出てきた握りは絶品だった。テレビドラマではこういう鮨屋でのシーンを見るけど、実際に食事をしたのは初めてだったし、どれを食べても恐ろしく美味しかった。だから部長と何を話したのかさっぱり覚えていない。

一通り飲んで食べたころに部長が僕に言った。

「そろそろ帰ろうか。」

部長は続けて大将に声をかけた。

「おあいそしてくれる?それと、おみやげ一つ頼むよ。」

しばらくして大将が差し出したヒモがついた折詰は、まさにサザエさんで波平が酔っ払って家に帰るときに持っているものだった。僕の父はこんなお土産を家に持って帰ってきたことなんかないから、本当にこんな人が世の中にはいるんだなんて感動してしまった。

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