バブルの頃、僕はブラック会社で働いた(4)

初めてプログラミング

僕が初めてプログラミングと出会ったのは1981年、中学2年生の時だと思う。父に連れて行かれたビジネスショーで展示されていたカシオ製のオフィスコンピューター。改めて調べてみると「Σー8700」だと思う。こんな形をしていたのを覚えている。会場でブースのお姉さんに言われるままにプログラムを打ち込んで実行しただけだったけど、すごく楽しかった。

小学校だけで4回も転校した僕は、小学5年生で埼玉県川越市に引っ越してきた。埼玉に来る前は千駄ヶ谷にあった父の実家に10か月ほど預けられてた。実家はマンションの1階だったけど広くて7LDKの他に応接室があり、トイレは2か所もあった。両親は実家の近くにアパートを借りて寝泊まりしていた。会えるのは朝ごはんのときと寝る前だけ。それでも学校も放課後もとても楽しかった。東郷会館の池で釣りをしたりとか。もちろん晴れてる日にやったら怒られるから、雨が降って外に警備員がいないときに植え込みから鯉を釣ってたかな(笑)

埼玉への引っ越しの前日、同じクラスの隣の席のマキコちゃんから生まれて初めてのラブレターをもらった。「好きです。引っ越しても付き合ってください。」なんてことが書いてあったと思う。それからマキコちゃんとは中3くらいまで手紙をやり取りしていたかな。あるとき手紙に「本性」を「本正」と何度も書いてあって、マキコちゃんは漢字が苦手なんだなぁ、と思ったのもなぜか覚えてるよ。

引っ越し後も祖母の家に行けばマキコちゃんと会うことができた。2回ほど一緒に映画も観に行ったかな。最初は「銀河鉄道999」2回目は「さらば銀河鉄道999」。だけど、中二の時に祖母が死んでからしばらくして、叔父が実家を売ってしまって千駄ヶ谷に行く機会がなくなってしまった。いつの間にか手紙も減って、マキコちゃんとは自然消滅してしまったけどね。

そういえば銀河鉄道999を知ったのも千駄ヶ谷小学校だった。同じクラスに熱心なファンがいた。当時、マカロニほうれん草とかブラックジャックとかふたりと5人だとか少年チャンピオンばかり読んでいた僕には衝撃的だった。宇宙戦艦ヤマトもキャプテンハーロックも大好きだったから松本零士は知っていたはずなのに、コミックで読んだことがあるのはセクサロイドくらいだった。8歳か9歳の時に家族で叔父の別荘に泊まった時、寝室に置かれていたんだけど、子供の僕には刺激的な漫画で、なぜ男性がやたらと女性の裸を撫でまわすのか理解できなかった。ゴルゴ13も置いてあったけど、チョット読んでみたらセリフがぜんぜん理解できなくて読むのをやめた。どちらも小学校低学年が読む本じゃないけどね。

漫画やアニメの話になると止まらなくなるのでこれくらいにしておく。

中学三年生になって夏休みが終わり、部活動も終わり、受験勉強に専念しなければいけないのに、僕は隣町にあったマツモト電器に通っていた。その店のパソコンコーナーには、平日の午後になると「パソコンBASICマガジン(通称:ベーマガ)」を片手にプログラミングしている小中学生がたくさんいた。何がきっかけだったのかは覚えていないけど、僕も交じってゲームのプログラミングに講じていた。

この頃のパソコンって自分でプログラミングして使うのが当たり前で、まだソフトウェアは売っていなかった。ゲームも自分でプログラミングしていたんだよ。ハードウェアといえば、CPUは8ビット 1コア4MHz、メモリは16Kバイト、記憶メディアはカセットテープ。FAXのピーガガガっていう音を録音するのと同じ仕組みで、1KBを記憶させるのに約7秒かかる計算だけど、その前後に10秒くらいの空白が必要だったから、カセットをセットして操作が終わるまで数分はかかった。今のスマホのCPUは64ビット 4コア 1.4GHz、メモリは2GB 、記憶メディアはフラッシュメモリ、1MBを記憶させるのに0.03秒。35年前のパソコンと今のスマホを比較すると、ざっくりだけど、CPUの性能は1万倍、メモリサイズは13万倍、記憶速度は24万倍。幸せだよね。

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