バブルの頃、僕はブラック会社で働いた(6)

マキコちゃんからの電話

「テレビ見たんだけど、学校大丈夫?」

なんの話?と聞いたら、すぐに6チャンネルを見て、と言う。ニュース番組で自分の中学校が報道されていた。校舎一階の教室の窓ガラスを全部割った生徒数名が逮捕されたって。翌日の新聞にも大きな記事になっていた。読んでみると、隣町の中学生も何人か混じっていたことがわかった。でも、その日から騒ぎを起こした同級生たちを見かけることはなかった。同級生たちは「あいつら埼玉学園に転校させられたらしいぜ。」って話していた。ここはいわゆる「教護院」だった。今でもあるのかな。

中学時代は、先生にも同級生にもいじめられたので、思い出したくないし、忘れるように努めたせいか、覚えていることは少ない。大学でもいろいろあったしなぁ…それで休学したんだった。高校だけが楽しかったなぁ。だから、僕には今でも付き合いのある学生時代の友達は一人しかいないんだ。正確には友達ではなく、高校時代の後輩。しかも自分と同じ高校ではなかったんだ。

BASIC以外の言語との出会い

大学に入ってから僕はFORTRANやCを独学で習得した。非構造化言語のBASICであってもアルゴリズムの学習には十分で、中学生の時に覚えたことが基礎としてあったから、FORTRANもCも特に苦労することなく使えるようになった。どちらも面白かったなぁ。FORTRANは科学計算用言語と言われるだけあって、日常のプログラムには使えないなって感じ。この60年以上前に登場した世界最古の高水準言語は、今でも世界中で使われているんだよ。スパコンなんかでもね。

先輩のパソコンを借りて、学園祭の占いプログラムを組んだりした。1年目はBASICでホロスコープ。図を描くのに苦労した気がする。2年目はC言語で四柱推命。バグだらけで結果がおかしいのをごまかすのに苦労した(^^;

当時、パソコンはまだ数十万円もした。NECのPC-9801シリーズが国民機の時代だ。Widnowsもまだまだ特殊で、一般的にはMS-DOS、ワープロは一太郎。表計算はロータス1-2-3。WordもExcelもなかった。MS-DOSだってバカにしたもんじゃないって。ロボコップって映画あったでしょ?僕の記憶が確かなら、主人公が目を覚ます、つまり起動するときに表示される画面はMS-DOS Ver2.11だったはずだよ。(笑)

ああ、漢字ROM…

今はガラケーでも漢字が使えるよね。この頃のパソコンで漢字を使うには、別売りの「漢字ROM」を買わないといけなかったんだ。パソコンだけじゃない。プリンターにも必要だったんだ。

休学が明けてからのことだけど、化学の実験で30秒おきに計測したデータを方眼紙にプロットしてグラフを描き、それが本来あるべき形なら実験成功、おかしければ実験をやり直しってのがあったんだ。細かい数字を方眼紙にプロットするのにみんな苦労してた。

僕はそれを知っていたし、面倒な作業も嫌いだから、自分のブックパソコン(ノートじゃないよ)を大学に持ち込んで、表計算ソフト(EXCELみたいなやつだね、当時はロータス1ー2ー3だった。ロータスワンツースリーと読むんだ。)に数字を打ち込んだ。これならグラフはパソコンが描いてくれるから、方眼紙で苦労しなくて済むし、何より速いから実験をさっさと終わらせられると考えたんだ。

その時の僕の愛機はEPSON PC-286 BOOK。RAM 2MB、HDD 20MBで持ち運びができる当時としては画期的なPCだった。F1ドライバーの中島悟がCMに出ていた。わかる人は同世代(笑)

このアイデアは途中まで正しかった。みんなが苦労してるのを横目に僕の班はトップで実験が終わった。だけど実験レポートを書くためにはこのグラフをプリンターで印刷しなければならなかった。僕は知り合いがいる研究室にプリンターを借りに行った。

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