バブルの頃、僕はブラック会社で働いた(7)

貧乏大学に漢字ROMはあるか?

留年してる間は時間がたくさんあったから、大学のコンピューターを使ってプログラミングを自分で勉強していたんだ。その頃にはPC-9801シリーズがメイン。それを端末にして大学のACOSという汎用機を使っていた。その際に仲良くなった助手や先生たちもいた。だからゼミ生でもないのに勝手にいろんな研究室に出入りしていた。

ある日、大学の計算機室にいたら、前方の席で女子が頭を抱えていた。僕は彼女に近づいて「どうしたんですか?」って声をかけた。プログラムがうまく動かなくて困ってるというので、リストを見せてもらって間違ってる場所を教えたらすごく喜んでくれた。その日の午後の計算機実習の授業で教官を待っていたら、教室にその女子が入ってきて驚いた。彼女も僕の顔を見てびっくりして言った。

「えー、同じ学科だったんだ〜。私が教える必要ないよね~。」

ケタケタ笑っていたのが印象的だった。

話を戻すね。実験なんだけど、入った研究室で「プリンター借りますね。」と一声かけて、パラレルインタフェースをブックパソコンに接続する。ロータス1-2-3のメニューから印刷を選ぶ。当時は「ドットインパクト方式」っていう、紙にインクを打ち付けるように印刷するプリンタが主流。中国語でプリンターを「打印機」って呼ぶのもここからきたのかなって思う。印刷用紙もA4とかの普通紙ではなくて、何メートルにも折りたたまれた連続紙。ジジジッ、ジジジッと音がして、一行一行紙が送られて行く。一行ずつ印刷するから「ラインプリンター」って呼んでた。今のプリンターのようにA4用紙に1ページごと印刷する機種は「ページプリンター」って呼ばれていて、当時はとても高価だった。

ラインプリンター

これで終了と思ったら印刷されたのは意味不明の文字、いわゆる「文字化け」。なんてこったぁ!そう、このプリンターには漢字ROMが付いてなかったんだよ。昔はメモリが高かったから漢字を使うにはパソコンでもプリンターでも「漢字ROM」というオプションをつけないとダメだったんだ。これが安くないし理系だとアルファベットで済んじゃうことが多かったから、大学の多くのPCやプリンターには漢字ROMが付いていなかったんだ。

「ありがとうございましたー!」と僕は言って別の研究室に向かう。また文字化け。別のプリンターを繋ぐ。変わらない。国立の貧乏大学はどれだけ旧式のプリンター使ってるんだよ!これはもう聞いたほうが早いと思って、どこかに漢字ROM付きのプリンターがありませんかって教えてもらったんだ。

結局、十台目くらいできれいに印刷できたけど、このあいだ二時間。実験室に戻ったらほとんどみんなが帰っていた。一番最初に実験が終わったのに、なんなんだよ、これだから貧乏は嫌いだよ、と、ボヤくしかなかったよ。

ラインエディタとスクリーンエディタ

ラインプリンターとページプリンターがあるように、エディタもラインエディタとスクリーンエディタがあったんだ。unixのedコマンドはラインエディタ。viはスクリーンエディタ。

プログラムの入力の歴史を考えると、僕の一回り上の世代の人たちはまだパンチカードを使っていたと聞いた。プログラム1行がカード一枚。紙に書いたプログラムをパンチャーにお願いしてカードに打ち込んでもらう。これをコンピューターに読み込ませてプログラムを入力していたそうだ。パンチャーはたいがい若い女子だったので、ご機嫌をとらないと入力を後回しにされた、なんて言っていた。あとプログラムの出来がひどいと先輩が窓からパンチ済みのカードを投げ捨てたとか。その人は全部拾って並べ直したって言ってた(笑)

こうやって一行ずつカードで入力していたプログラムが端末から一行ずつ入力でいるようになっただけでも当時はすごいことだったんだろうね。パンチャーを介さずに自分でプログラムできるから。同時にパンチャーの女子も大量に失業したんだろうなあ。今でもこれに近いインターフェースがある。点字ディスプレイがそうなんだ。これは1行しか表示できないからね。そのうち安価なスクリーン式の点字ディスプレイが実用化されるんじゃないかな。

僕もPCを使い始めたころからスクリーンエディタだったからラインエディタの意味が分からなかったけど、歴史的な経緯を知れば「なるほどな」って思うことが少なくないよね。

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