バブルの頃、僕はブラック会社で働いた(8)

緊張の出勤初日

初出社の日、多分、大原からスーツを借りたんだと思う。服装まで覚えていないよ。だいたい僕はあまり着るものにこだわらないし、ファッションセンスもないから。会社に行くと総務部長が相手をしてくれた。次に社長から話をされた。それから武中さんと言う社員を紹介された。僕は武中さんと一緒に仕事をするんだって説明された。武中さんは背が高くてやせ型の栃木県桐生市の出身で、ちょっと変わったひとだった。いや、ちょっとどころじゃなかったかな。

「田舎では、疲れたときは渓谷に行ってサンショウウオを獲って、生きたまま食べるだがね。胃の中で動いてるのがわかるだがね。」

特徴的な語尾が印象的だった。きっと桐生の方言なんだろうな。

「これが資料だがね。」

渡された箱ファイルは積み上げると2メートルにもなった。これを全部読めって言うんだ。最終的にぜんぶ読まないと分からなかったから読んだけど、そもそも、なんのシステムを作るのかがわからない。武中さんは「通信システムだがね。」と言うんだけど。

僕が使うマシンは、面接の帰りにすれ違った富士通製のワークステーションSX/G-150Aだ。聞いたことがない機種だ。OSはunix。名前は知ってるけど使ったことがない。

ソースプログラムは、コンパイルしてオブジェクトに変換され、ライブラリとリンクして実行形式になる。まあエンジニアには常識だよね。

僕はそれまでずっとMS-DOSで当時はTurbo-Cを使っていた。これは統合環境なのでコマンドラインを使う必要がない。その前に使っていたLattice-Cではバッチを組んでコマンドラインから実行していたけどね。「ビルド」って言い方はまだなかった。

社内の誰もunixを知らない!

だからunixのコマンドがわからない。当然だけどCLコマンドもLINKコマンドもunixでは使えなかった。どうやってコンパイルするの???ぜんぜんわからない。武中さんに聞いてみる。

「俺は自分の98(=PC-9801)でプログラミングするだがね。Cで書くからおんなじだがね。」

どうやら武中さんもunixは使ったことがないらしい。社内でC言語が使えるのは僕と武中さんだけ。他の人は汎用機でCOBOLやPL/I(ピーエルワン)を使った金融系のシステムなんかの業務に派遣されていたからCやunixがわかるわけがない。つまり、こういうことだ。

誰も知らない。

なるべく視界に入らないようにしていた箱ファイルの山を見て、僕はため息をつくと、意を決して片っぱしから読み始めた。コンパイルはccで行う、リンクはldで行う。なにそれ?make?アーカイブ?さっぱりわかんない。DOSとぜんぜん違う。しかも、このマニュアルはぶ厚いくせに肝心なことが書かれていない。どうする?試行錯誤しかない。

たった5行のソースプログラム、いわゆる”Hello World”を、unixでコンパイルしてリンクして実行させるのに、3日かかった。僕はホッとした。

#include <stdio.h>

void main()
{
printf(“Hello World!”);
}

武中さんはひとりで作業していて僕に何か教えてくれるわけじゃなかった。ただ、武中さんが作ってるのは、システムの一番大切で、かつ複雑な部分みたいだということだけは説明された。仕方なく分厚い書類を読むしかなかった。表紙には「富士通 F2890光LANシステム 機能設計書」と書かれていた。それによると、開発するシステムの概要は次のようだった。

①通信システムの構成を画面から入力する
②システムを動作させるためのデータを生成する
③生成したデータを配布するために、フロッピーに書き込む

ざっくり言えばこんな感じ。このデータ生成を武中さんが担当していた。つまり、①と③は僕がやるみたいだ。画面がたくさんあるんですけど。

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