バブルの頃、僕はブラック会社で働いた (1)

1989年11月中旬

時代はバブルの前触れを告げていた時、僕は長野県茅野市のアルバイト先から東京に戻ってきた。ポケットには1000円だけ。住む家もなかった。友達もいなかった。だけど、由香という彼女がいた。

大学3年目の年、夏が終わる頃に、さまざまな人間関係に疲れきっていた。その上、つき合ったばかりの彼女に、理不尽な理由で突然フラれた。何もかも嫌になった僕は、休学の手続きを済ませ、旅に出ることにした。その前日、僕は誰でもいいから呑みに付き合ってくれる相手を探した。たまたま電話した高校の後輩の由香と居酒屋で飲んだ。そのままお互いに酔った勢いで付き合うことになったけど、僕はそのまま旅に出た。

軽井沢、小諸、茅野と長野県の山の中をバイトしながら転々とした。何度か東京にも戻ってきたけど、すぐに山に戻った。でも、バイト先で雇用主の個人的トラブルに巻きこまれ、逃げるように土地を去り、滞在先で次のバイト先を探した。

一回目は軽井沢。雇用主の遺産問題になぜか巻き込まれた。裁判に付いてきてほしいと頼まれ、遺産問題とそもそも何の関係もない僕は怖くなって、バイト代をもらった翌日に逃げた。楽しい思い出がたくさんできた土地だった。ヒロ・ヤマガタを知ったのも、沢屋のジャムを知ったのも軽井沢だった。とても残念だった。ヤマガタは当時、安くても80万円、高いと数百万円したのに、今では数万円で売られてるなんて…これは集めるチャンスかも?あのブルーが好きだなぁ。

そして僕は山小屋に

二回目は茅野のペンション。雇用主が競馬狂いで、菊花賞に自信満々で大金を突っ込んだらしい。僕は競馬がいまだにわからないけど、毎日2時間は競馬新聞のデータ整理をさせられた。一馬、勝馬、日刊競馬。たまたま雑誌AERAで同い年の武豊がいろんな記録を打ち立ててるという記事を読んでいた僕は、菊花賞は武豊の乗るスーパークリークじゃないですか、と言った。雇用主は「俺は20年、競馬をやってるんだ。ありえない」と一笑に付した。だけど結果は、武豊の優勝だった。

翌日、僕のタイムカードの記録から毎日前後1時間が削られて書き直されていた。雇用主に理由を聞くと、競馬で外れて金がないと言った。バイト代はもらえないな、と直感した僕は、なけなしの5000円が入っている銀行口座のキャッシュカードと暗証番号を書いたメモを彼女に郵送し、金をおろして普通郵便で送ってもらうように頼んだ。ペンション村といえば聞こえがいいけど、コンビニもなにもない。銀行なんて街まで行かないとない。街に行こうにも足がない。歩いて行けるのはもっと山奥だけ。縞枯山と言った。

バイトが休みの日に山頂の向こうにある池に行こうとした。雨池。ロープウェーに乗る金をケチって、歩いて山頂に向かった。ジーンズにトレーナーに革靴。持ち物はスポーツバッグ1つ、中には一眼レフだけ。途中「がさっ」って音に何度も僕はおびえた。「熊が出た」とニュースで報道されていたのを思い出したからだ。軽はずみだったかな…たぶん大丈夫だろう、と根拠のない自信を持ちつつ、音に何度もビビりながら山頂駅を目指した。

山頂駅の先は少しなだらかになっていて、歩くのが楽になった。奥に進むと山小屋があった。「縞枯山荘」と書いてある。簡単な喫茶をやってるみたいだった。休憩しようと僕は店に入って紅茶を頼んだと思う。マスターが一人でやってるのだろうか。しばらくして注文したものが出てきた。カップをすすりながら、雨池まであとどれくらいかなぁ、と考えていたら、マスターが僕の向かいに静かに座り、落ち着いた声で言った。

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