代ゼミとバレンタインとの相関関係に関する考察 (4)

契約相手が変わりました

時期を同じくして、加藤さんから「NECと契約して仕事を続けてくれないか。」と打診があった。A社との契約条件と年齢を聞かれたので、時給8000円であることと、自分が25歳であることを伝えた。NECの規定だと25歳では最高でも2500円しか出せないと言う。私は次の仕事まで時間があったこと、時給が安いかわりに、いくつかわがままを聞いてもらいたかったので、それでOKした。

仕事を紹介してくれた社長からまた連絡があった。A社からあまりにも高額なので、8000円を7000円に負けてくれないかと言う。それでも支払額は200万円を超えていたので了承した。3月にこの金でハワイに社員旅行に行くことになっていた。NECへのわがままというのは、一週間ほど休みが欲しいということだった。

なんだかんだでプロジェクトの終わりが見えてきたが、A社の社員はひとりふたりと、櫛の歯が抜けるように減っていき、気がつけば半分になっていた。鉄火場に何ヶ月か放り込まれたことで、技術を覚え、ようやく仕事が面白くなってきたところで身体を壊し、泣く泣く辞めた者が何人もいた。

これが「デスマーチ」と言われる所以だ。

デスマーチからの帰還

徹夜も減り始め、そのうちに毎日家に帰れるようになってきた。とは言え、帰りはたいてい深夜2時だ。冬の夜更けの寒さの中、代ゼミから通りに出て、副都心線の工事現場の明かりを横目にタクシーを拾い、帰宅する日々だった。

3月になり、私は社員旅行で現場を一週間ほど休んだ。帰国して二日後に現場に戻ったところ、NECから4月以降も仕事を引き受けてもらえないかと打診された。私は金額が安いし別の仕事があると断った。こうして代ゼミとの戦いは幕を引いた。

今から考えれば、仕事の打診があったときに別の人間を出すなり、受託で受けるなり方法があったのにと思う。NECと取引できるなんて、太い客から仕事をしてくれと頼まれてるのをあっけなく断るなんて、営業の人間からしたら「頭がどうかしてるのか?」と言いたくなるだろう。今の私でも説教したいくらいだ。当時の私は聞き入れなかっただろうけど。

そう考えると、私はエンジニアとしての腕は間違いなくあったのだけど、営業や経営という点では本当に素人だったと改めて実感する。会社にはエンジニアしかいなかった。まだバブルが弾けたばかりの頃、仕事はいくらでもあった。十年経ってから私が十年間も営業や経営に苦しむことになるとは、この頃は想像もできなかった。

数年後、加藤さんから連絡があった。愛知県にある子会社の社長になっていた。なんでも火を吹いてるプロジェクトがあって私を思い出したとか。せっかく仕事の話をいただいたが条件が合わず、請けることはなかった。

1998年12月 デスマーチ再び

1998年に話を戻す。当時、ISDNによるインターネット接続が普及し、会社にも導入した。それまでのアナログ回線に比べて安定していて高速だった。mp3形式の音楽データが普及しはじめ、ネットでは違法ダウンロードの海外サイトがたくさん出現した。街にはSMAPやSPEEDが流れていた。TMレボリューションも流行ってたなぁ。

人は忙しいときに余計なことをしてしまうのはなぜだろう?当時、バカみたいに音楽データをダウンロードしまくった。高速と言っても今のネットの100分の一くらい。一曲ダウンロードするのに5分から7分かかっていたから、1時間かけても10曲行けばいいほう。再生するのより遅い(笑)徹夜しながら3ヶ月で1000曲はダウンロードしたと思う。それをパソコンで聴いていたのかな。よく覚えていない。

この頃はたまに渋谷のキャバクラで呑んでた。渋谷には「ワイシャツパブ」なる店なんかもあった。気にはなったけど行ったことはなかった。googleで「ワイシャツパブ」を検索しても関係ないものしか表示されないから、今となってはどんな店だったのかは知る由もない。
(つづく)