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呪術廻戦
「今のね、女子高生のトレンドが呪術廻戦なんだって。」
早朝、職場に関する妻の愚痴に付き合っていたところ、唐突に彼女が言い放った。
呪術廻戦。確かに面白い。夫婦でアニメを一気見してしまった。
少年ジャンプに連載されているとのことだ。私が読者だったのは、もう半世紀近くも前のことだ。侍ジャイアンツ、アストロ球団、進めパイレーツやトイレット博士、キン肉マン、プレイボール、リングにかけろ、ドーベルマン刑事、ドクタースランプ、ドラゴンボール、ジョジョ、北斗、男組、ブラックエンジェルズなどなどなどなど…語りだしたら止まらなくなるのでやめておこう。
でもキャッツアイとシティーハンターは外せない。
昔話は置いといて…ここ最近は「全集中」でなんでもかんでも鬼滅の刃一色である。5歳の娘は本編は怖いから見たくないと言いながら、Youtubeで鬼滅のキャラを使った作品を見まくっているので「煉獄さん」だの「炭次郎」だの、キャラはすべて把握してるようだ。
ちなみに2歳の娘が禰豆子にとても似ていると夫婦で思っているのは親ばかだ。
だが最近のジャンプに掲載されている面白い作品は鬼滅の刃だけではない。呪術廻戦もしかり、約束のネバーランドしかり、暗殺教室しかりである。
それぞれテーマは「負の感情」「食用児」「地球滅亡」と前向きではない。21世紀になってからは魔法少女ですら、待っているのは夢のある未来ではなく悲惨な末路なのだ。
オカルト漫画
後ろ向きの作品ばかり並べると平成の世相がどうとか言われそうだが、昔だって似たようなコンセプトはあった。
- 「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ」の「魔太郎が来る」
- 黒魔術を駆使して人間の心の闇を描いた「エコエコアザラク」
- 不思議な力で人間の悲惨さを見つめる少女を描いた「おろち」
- 突然訪れる不幸をめぐる人間物語を描いた「恐怖新聞」
1970年代もオカルトブームだったのだ。パンタロンと大きなサングラス、まさにフィンガー5みたいなファッションがはやったことは何となく覚えている。小学校低学年では仮面ライダーやウルトラマンに夢中だったが、高学年の頃にオカルトブームに目覚めた。
この頃に「風と木の詩」を読んでショックを受けたことは内緒だ。
ブームから世相へ
様々な作品で理不尽なストーリが展開されても、フィクションなら心が痛まない。殺人鬼に数十人が殺されようとも、巨人に生きたまま人間が食われようとも、虚構の世界であれば無問題だ。
現実世界ではそうはいかない。給与が10円不足していただけでも、十分に受け入れがたい理不尽だ。まして身内が死んだのならば大ごとである。
だが、知らない人が死んでも心が痛まない。地球の裏側で赤の他人が千人死んだところで、事件でしかない。一情報に過ぎない。
「大変だねぇ」で終わりだ。
実世界であれリアルな仮想空間であれ、人は現状よりも悲惨な人や状況があれば今を耐えられるのであろう。半世紀前はブームだったものが、今では世相として扱われている。
世相 世の中のありさま。社会のようす
そして悲惨な人生を歩んだ人が救われる物語の結末は、異世界で展開されるのがテンプレートだ。アラフォーまで童貞だった男性は、仮想空間であれ人生の延長線上では救われないのだ。
きっと作者が若いせいなのだろう。実際にはアラフィフでもぜんぜんイケるのだ。
それとも若い頃にいい目を見たバブル世代はいいのだが、そのあとの氷河期世代はいいことがなかったということなのだろうか。現実世界では歳を重ねても落ちていく一方なので、異世界で幸せな人生をやり直せた主人公に現実逃避するニーズが高いのだろうか。
現実世界に将来を見いだせないなんて、この国はどうなるのだろうか。
異世界系のアニメについても別の機会に語りたいと思う。

50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)