子供の頃から鉄道が好きで、中学生の頃には青春18きっぷを使って二泊程度の旅行をしていた。今から思えば、親もよく許したものと思うが、父との仲がうまくいっていなかったら、母も心配しつつ、やりたいようにさせてくれたのだろう。それに小学生の頃から一人で電車に乗ってあちこちに行っていた実績もあったので、それほど心配も無かったかもしれない。
幼稚園から小学校三年生まで、毎年、新幹線に一人で乗せられて京都から父の実家のある東京まで遊びにいってたとのことだ。そう言えば、上の二人の子供たちも、小学校一年生の頃から夏休みや冬休みのたびに、二人だけで北京から飛行機に乗って日本に来た。
帰りは二人を成田空港まで送り、航空会社のスタッフに引き渡すと空港を後にした。あるとき、中国に帰るのが嫌で、搭乗するときに飛行機のドアにしがみつき、泣き叫んで搭乗拒否をしたために、飛行機を止めてしまい、私が空港に呼び戻されて、JALの係員からしこたま怒られたこともある。それからは飛行機が離陸するまで空港で待機するようになった。
小さな頃からひとり旅は我が家のDNAなのだろうか。
鉄道で全国各地に行ったが、埼玉に住んでいた私には西日本のハードルが高かった。各駅停車の夜行で乗り継いで行けるのは出雲市が限界で、四国、山陽、九州の西日本に行く機会はなかったのだ。働くようになって、車で四国や山陽地方には旅行に行ったが、相変わらず九州には縁がなかった。沖縄に来てから九州全県に行くことができたが、鹿児島県だけはイレギュラーだ。なにせ、行ったのは奄美大島。県庁所在地である鹿児島市に行く機会はなかった。
三年前の夏にようやく鹿児島市を訪れた。全都道府県の県庁所在地の制覇には47年かかったのだ。ところが、その後はちょくちょくと鹿児島を訪れる機会が増えた。
不思議なものだ。
国内には、まだ見ぬ魅力的な場所がたくさんある。離島もたくさんある。富士山に登ることにあまり興味は湧かないが、小笠原にはぜひとも行ってみたい。北海道も稚内には行ったことがない。石垣島と宮古島には行ったことがあるが、会議だし、天気が悪かったし、島の魅力をほとんど感じることができなかった。そして与那国島に大東島。
家族ともたくさん旅行がしたい。頑張って働こう。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)