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なぜホテル飯は美味しくない
ホテル平安でランチョン会議を済ませ、その後、さらに二件の会議に参加し、今年度が終わった。会議の後は懇親会だ。予想通り、食事はいまいちだったので、あまり手を付けなかった。ホテルの宴会で「美味かった!」と実感する機会はそうそうない。大量に作れば、どうしても作り置きになるのは仕方がないし、細やかな料理を作ろうにも、50人前を一気に用意して配膳するのは、難しい。冷たいものを冷たいまま食べることは可能だが、温かいものを温かく食べるのが意外に難しい。
一人一人に料理が出てくるコース形式は高いので、8割がたは大皿料理だ。中華スタイルで、円卓の上の回転テーブルに置かれた食事を食べる。前菜、サラダ、刺身、スープ、魚料理、肉料理、炭水化物、デザートが一般的だろう。だが、前菜からして箸を躊躇することが少なくない。刺身は美味いためしがない。北海道でも難しいのだ。例外は根室で開催された祝賀会だったが、例外的だ。しかもホテルではなく、商工会議所のホールでの食事だった。ビールを飲んでいるのにスープを飲む気にはならない。
魚料理はエビチリであることが多い気がする。好きではない。美味しくないからだ。一度だけ、イセエビのエビチリが出たことがある。これはすさまじく美味かった。フレンチにしても、食べにくい料理が多くて、やはり手が出ない。対して、肉料理はあまりはずれがない。豚角煮、ステーキが多いだろうか。ビーフの時もあればポークの時もあるが、チキンがメインだったことは記憶にない。覚えていないだけかもしれない。
締めと言うか、炭水化物で多いのが炒飯だ。たまに蕎麦やそうめん、うどんだったりするが麺類は少ない。炒飯やちらし寿司ならば大皿で盛ることができるが、麺料理は一人ずつお椀に入れたものを配膳しなければならないからだ。
「もったいない」と「食べたくない」
個人的には円卓の大皿料理よりもバイキング形式の方が好きだ。屋台コーナーで揚げたて、できたての料理を取ることができるし、料理数も大皿コースよりも多い。但し、すぐになくなることが多い。不思議なもので、大皿料理だと結構な量が残飯となるが、バイキング形式だときれいになくなっていることが多いように感じる。
円卓だとテーブルごとに食べる量の格差が発生する。年配の客が置いテーブルは料理が余るし、若い男性が多いテーブルは料理が足りない。立食ならば全体最適化が起きるので、料理がきれいになくなる。それでも、カレールーだけ残ったり、ご飯だけ残ったりすることがあるが、人数が多いと食事が置かれる場所が二か所に分けられるので、片方にはルーが、一方にはごはんが、という経験もした。
すごくおいしかったホテル飯は意外に思い出せない。なんとなく、徳島のホテルはよかったかなあ、という印象があるのだが、不味いというか、驚嘆したメニューは忘れることができない。愛媛県松山市の全日空ホテルでの祝賀会だ。締めが塩結びだった。塩おにぎりである。海苔すらまかれていなかった。会費と比較すると、納得のいく内容ではなかった。コスパが悪いというか、おそらく主催者が参加料から数割を抜いていたんだろうと思う。あれはひどかった。
だから、ホテル飯は好きになれない。年に30回くらいは食べる機会があると思うが、ここ何年かは、宴席の前に好きなものを飲み食いしてから参加するか、宴席ではあまり食べずに、終わってから好きなものを食べる事が増えた。
食育の観点からすれば、もったいない、残飯を増やすなと言われそうだが、宴席に参加するのは地方が多いので、せっかくならその土地の美味いものを食べたいと思い気持ちもまた、自然であり当然であると思う。悪いのは、美味いものを食わせないホテルなのだ。食べてもらえない食事を作る料理人なのだ。
断じて私は悪くない。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)