仕事で兵庫県加古川市に来た。一年ぶりだ。昨晩は、加古川で精肉業を営む知人が、最近開店した焼肉店で会食をした。父の四十九日の食事会で肉を頼んだ知人だ。彼が開店した、念願の焼肉店なのだから美味く無いわけがない。期待して行ったのだが、何を食べたのかあまり覚えていない。会食だからだ。
辞書には「会食—人が集まって食事をすること。」と書かれている。しかし、人が集まれば会話が弾む。無言で食べることは、まずないだろう。食事が目的であれば「食べに行こう。」であり、会話が目的なら「会食で。」となる。
食事が目的であれば、食べ物の写真を撮ることをはばかることはないが、会話が目的なのに、食べ物が来るたびに写真を撮っていては、いちいち話の腰を折ることになる。いくらわがままな私でも無理だ。まして、自分が話している時に
「ちょっと失礼、これ撮りますね。」
などと言ったら、お前は何者だと怒られるのがオチだ。
「会話が目的」が極端になると、ほぼ食事をしない人もいたりする。ホテルの宴席などでビールを注ぎ回る人などがそれだ。あいにく私はそう言う習慣を持ち合わせておらず、最初から最後まで、ほぼ自席に座っている。気がつけばテーブルに座っているのは私一人だったりもするが、それでも私は席を立たない。
ホテルの宴席では食事が微妙なことが多々ある。どうしても箸をつける気にならない料理が多いこともしばしばだ。料理を食べたくないので、酒を注いで回って宴席を済ませ、その後、自分の好きな店に食べに行くツワモノもいる。これは食べ物を粗末にしすぎだと、毎回強く感じる。
どうにかならないものだろうか。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)