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父の供養
父の葬儀が一通り済んで、家族で納骨について話し合った。本人の希望が散骨なので、業者を探して東京湾で供養しようと話し合った。これに妹が抵抗した。
「お父さんが可哀想!あんなに冷たくなって、骨になって、それを撒いてしまったら、可哀想過ぎる!」
父の遺体はドライアイスで冷やしてるのだから、冷たいのは当たり前で、むしろ冷たくなかったら可哀想なことになる。何処かの国の指導者ではないから、火葬にしなければ大変なことになるし、焼けば骨しか残らない。焼骨だ。日本の火葬炉の性能は優秀なのだ。
亡くなれば誰もが通る道を淡々とこなしてるだけなのだから、どこがかわいそうなのか、いまいち理解できない。むしろ、この手順が踏めなければ死体遺棄するしか無くなってしまい、いろいろと可哀そうなことになる。墓に入れるにしても、散骨するにしても、すでに灰なのだから、供養先を探すだけなのだし、見つからなければ、燃やすごみとして処分するだけだ。というのは流石に冗談だ。
妹は妹なりに思いがあるのだろう。供養の話はもう少し日を置いてから話し合うことにした。
焼骨は捨てられるのか
まてよ、本当に骨壷を燃えるゴミに出していいものだろうか。調べてみると「遺骨遺棄罪」なるものがある。しかも、「墓地、埋葬等に関する法律」において「埋葬又は焼骨の埋蔵は墓地以外の区域に、これを行ってはならない。」とされている。つまり、焼骨を捨てたら罪に問われるのである。
しかし、散骨については、法務省が「節度をもって葬送の一つとして行われる限り違法ではない。」という見解を表明しているため、認められるのだそうだ。この場合も、きちんと粉骨せねば罪に問われるようである。自宅の庭にきちんと粉骨した焼骨を埋めることは問題ないらしい。なにか金魚の墓と同等に思えなくもないが、ならばいっそベランダのプランターの肥料に…以下、略。
ネット上には、焼骨を近所のスーパーのトイレに流したという書き込みも見受けられた。自宅のトイレに流せばいいのに、迷惑な。
ちなみに骨壺と白木位牌は、砕いて分別してからゴミに出せば問題ないそうである。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)