父と妹と人工呼吸器

投稿者: | 7月 11, 2020

昨晩も遅くまで呑んだ。ホテルに戻ったのは午前二時半だ。八時半に起きて、急ぎ朝食会場に向かうが、昨晩遅くに食べたせいか、食欲がない。ドリンクだけ飲んで部屋に戻り、シャワーを浴びて目を覚まし、徒歩で会議の会場に向かった。

会議は二時間半にも及んだ。議案が多かったために眠くなることはなかったが、辛かった。この会議が終われば、夕方の懇親会まで私はフリーだ。ホテルに戻って休むことにしよう。会場から駅まで、バスの送迎もあったのだが、再び歩いてホテルに戻った。二十分もあれば着く。

そうだ、昨晩、懇親会の途中で妹からメッセージが届いていた。父のことで電話が欲しいとのことだ。父は肺炎で月曜日から入院していた。

歩きながら電話をかける。妹の話を聞く。父の容態はいいものではないらしい。肺炎が治っても、足腰が弱っているために一ヶ月程度のリバビリ入院が必要とのことだ。その上、血液の病気の疑いもあるとかで、もしかしたらあと数年くらいしか生きられないかもしれないとのことだ。

数年前に心臓弁膜症で手術を受け、心肺機能が徐々に低下していた。そのためなのか血中酸素濃度が上がらず、軽度な呼吸困難を起こしているために、酸素吸入をしているとのこと。もしも血中酸素濃度が今よりも下がるようなら、人工呼吸器をつけるかどうか家族の決断が必要だと、主治医から告げられたそうである。

妹は七月に亡くなった叔父の最後を看取っていた。叔母は十年前に亡くなったので、叔父の仕事を長年手伝っていた妹が看病をしていたらしい。叔父もまた肺炎で亡くなった。間質性肺炎という、治らない病にかかり、ついには呼吸ができなくなって人工呼吸器に繋がれた。若い人ならともかく、高齢者に人工呼吸器を繋げることは、死ぬまで外せないことを意味する。繋ぐ処置も患者に苦しみを与えるそうだ。

妹は父を人工呼吸器に繋ぎたくない。叔父がどれだけ苦しんでいったか、間近で見てしまったから、もしもそのような状況になった時は、父が苦しまずに自然に生涯を終えられるようにしたいんだと私に言った。

そんなにも容態が悪いとは思いもしなかったので妹の話には驚いたが、すぐに父がどうこうなるわけでもないことにホッとしたのも事実だった。妹には「任せるよ。後であれこれ言うこともしないよ。」と告げて電話を切った。

母に電話をして、月曜日に沖縄に戻るけど、その帰り道に見舞いに行くと話した。ところが面会時間は午後三時以降なので、昼前後だと面会できないという。来週もまた東京に出張があるから、その時に行けばいいよと母が言うので、見舞いに行くのは木曜日にした。