田舎からの帰省

投稿者: | 7月 11, 2020

早朝のいちき串木野市街を歩く。誰もいない。無電柱でタイル敷きの美しい町並みは、かつてのふるさと創生事業、全自治体に一億円を交付した、二十年前のバブル時代の政策で整備されたという。無駄に金をかけたために、 特殊なタイルは割れた部分の交換が困難。結果、壊れたタイルを剥がした部分をアスファルトで埋めるしかなく、道は虫食い状にまだらになっていく。

身分不相応なブランド品を買ったはいいが、経年劣化しても修理に出すお金がないために、自分で手直ししながら使ってるようなものだろうか。

政府も地方創生と口では言うが、そもそも地方経済の仕組みを分かっているのだろうか。かつてのように、大企業が儲かれば地方が潤う時代ではない。企業城下町の頃は通じた論理は、物資調達がグローバル化し、ネット通販ににより物流構造も激しく変化し、中小企業の取引先が大企業の系列や下請から脱却を余儀なくされ、海外進出や新たな販路開拓を行う時代だ。

大企業が儲かっても、その仕入先は国内とは限らない。大企業優先の経済政策で潤ったのは、近隣諸国の中小企業である可能性は否めないのだ。日本国内の大企業との取引で儲かった彼らが、自国に納めた税金は何に使われているのか、政治家も官僚も理解しているだろうか。

東京しか見ていない、近視眼的な彼らに分かるとは思えない。

駅前の介護施設

二十年前から地方の経済振興にどれだけの税金が投入されてきたか。その結果、地方は栄えたのだろうか。答えは自明だ。少子化が続く限り、東京は地方から人も物も吸い上げ続ける。串木野駅前にある建物は見た目はホテルだ。しかし現在は介護施設だという。仕事もない、若者もいない、老人しかいないから、駅前の一等地がこんな使われ方をするのではないだろうか。

地方が寂れれば、東京は立ちゆかなくなる。人口が減って空白地域ができれば、外国の手が忍び寄る。すでに北海道はその傾向が顕著だ。国境は経済の生命線だ。人が住んでいないというだけの理由で、ないがしろにしていいものでは無いと思う。

葦北鉄砲隊のラッピング

なんてことを考えながら、串木野市からJRで川内へ。葦北鉄砲隊のラッピングの電車を眼下に見つつ、新幹線に乗り換えて博多まで。地下鉄で空港に行き、空路で羽田に行く。今日はお盆休み最終日。高速道路も大渋滞してるだろう。飛行機も満席だ。

まるで帰省だ。

元々、京都生まれで埼玉育ちの私は帰省ラッシュに縁が無い。父の実家は東京の千駄ヶ谷だったし、 沖縄のお盆は旧暦なので、内地とはズレている。

少々、不思議な感じがしたのだった。