根室からの帰りは中標津空港から羽田乗り継ぎの那覇行きだ。羽田—中標津は一日一便。14時30分発しかない。それ以外は釧路まで行くか、中標津から千歳に飛ぶかのいずれかである。明日も休みではなく、朝から朝礼に会議、午後は事業説明会と夕方まで忙しい。それが終われば帰れるのだが、一ヶ月分の領収書の整理をしなければならない。
なかなか自宅で休めない。
青森の知人は、根室に来るのに青森→羽田→釧路と飛んできた。青森→千歳便があるでしょうにと言うと、青森から千歳便はANAしかないので、JALのマイルを貯めたい。青森→千歳便はANAしかないので、仕方ないと言う。しかもその後、宮古島まで往復するので、7,000キロの空の旅だと話していた。
JALで青森-千歳便あるんだけどな。
彼は青森で焼肉店も経営している。新しいメニューを開発したそうで、その名もトマホーク。骨付きの肉塊一キロを焼いたものだそうだ。仕入れ先を探すのに相当苦労したようで、それだけに試食ではかなり美味かったと、SNSで報告していた。
私も食べたい。
しかし、昨晩は飲み過ぎた。来賓として参加した知人は、地元のお偉いさんに日本酒を散々飲まされて、泥酔。二次会では机に頭を突っ伏したままイビキをかいて寝ていたので、周りがビックリして笑っていた。締めで全員が立つ中でも、一人いびきをかいていた。その後、三次会。あまり記憶がない。カメラにはソファーで眠る二人のおっさんが写っていた。
そんなこんなで予約していたレンタカーを一時間ずらし、なんとか準備を終えてホテルを出た。買い物とランチを済ませて空港に向かう。レンタカーを返し、空港のカウンターに荷物を預け、保安検査場を通過してベンチで休む。登場時間が近づいたので、ゲートの前に行き、ぼーっと立っていたところ、後ろから声をかけられた。
「生きてる?」
月野さんだ。
「身体からまったくオーラが出てないから、いるって気付かなかったよ。」
別に気配を殺していたわけではないが、疲れ切っていたのだろう。生気が無いと月野さんがいう。うん、そうかも。横になって休みたい。飛行機に乗ると月野さんは私の前のシートだった。この便に少なくとも十名は知人が乗っている。皆、私と同じ目的で根室を訪れた。昨晩、一緒に飲んだの者も多数いた。
羽田までは約二時間、シートを倒し、横になると眠ってしまった。
目が醒めると着陸態勢に入ったとのアナウンスがあった。アテンダントが預けたジャケットを待ってきて、フックにかけてくれる。羽田からは私以外にも乗り継ぎする者がいた。高松、宮崎。月野さんは群馬だから新幹線だ。長野や名古屋まで帰る者もいた。今日は東京に泊まって、明日、帰る人もいるだろう。
私はようやく自宅に帰れるのだ。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)