日本人の効率化とは?~問題を無くさず避ける~

投稿者: | 7月 11, 2020

東京に続いて二回目の会議だ。今回はホスト役が私一人だが、地元のメンバーが手助けしてくれるだろう。参加者はあまり多くないが、パネルディスカッションをするので、人数が少ない方が発言の機会が増えるので、理解度が高まる。

物事を理解するのは簡単ではない。人から説明を受けて分かったつもりでも、いざ自分で説明してみると「あれっ?」ってなったりする。そう、理解しきっていないのだ。逆に言えば、理解できているのかを確認する手っ取り早い方法は、自分で説明してみることだ。

同じ方法として復唱がある。安全確認ではお馴染みだ。例えば、誰かに指示をしたとする。仕事ができる人は、言われたことを復唱する、もしくは指示を聴きながら自分中で整理した段取りを説明し、正しいかどうかの判断を仰ぐ。間違いがあれば、それを正してもらうことで、正確に指示を理解した上で作業に取り掛かることができる。

指示の内容が曖昧でも、受け側が専門家だったり、慣れている仕事ならば、さほど聞き返すこともない。これは例外だ。指示を受けて「はい」としか答えない人は、分かっていないか勘違いしていることが大半だ。いや、ほとんどと言ってもいいだろう。

つまり、仕事ができない人なのである。

それでも、作業に取り掛かってみて、分からないところが出てきたり、疑問に思うことが出てくる。そうして初めて質問してくる人もいる。効率はイマイチだが、仕事はこなしてくれる。

ヤバイのは、分からない点が出てきても、恐らくこうだろうと確認もせずに、適当に済ませてしまう人だ。恐ろしいことに、こういう人は少なくない。

勉強でも同じことが言えるのだが、一人の先生に少数の生徒なら、多くの質問にも対応できる。しかし、多くの生徒を抱えていては、対応できる質問は限られる。同じことを多くの生徒に繰り返し説明する羽目になる。

非効率だが、これが日本の学校教育の現状だ。

学習塾等の企業が教える場合は、学習効率とともに教える側の効率も考える。経営にはコスト削減が必須だ。教わる側も楽して勉強するだけでなく、教える側の感情に巻き込まれないような仕組みの方が楽だ。

多くの場合において、効率化は新しい手法とIT機器の組み合わせで実現される。残念なことに日本の学校教育では、教育現場の根本的な改革に批判的な人がほとんどだと思うし、そのように感じてきた。理由はシンプルだ。面倒くさいからである。子供たちのことよりも、自分の生活の方が大事だ。教師だって自分のことがかわいいのだ。

話が逸れたが、日本人の不思議なところは、会議において、質問を求めても誰も手を上げないのに、誰かを指名すると、半数は質問をしてくる。

これが日本文化だ。

質問したいけれど恥ずかしいのではなく、面倒くさいし、会議が早く終わって欲しいし、分からなかったら後で誰かに聞けばいいしってのが本音だろう。

気持ちはよくわかる(笑)

幸い、会議は白熱し、時間が足らないくらいだった。では、残りは懇親会でじっくりと話そうじゃないか。