子供の頃から商店街が好きだった。家族な夕食はパートに出ている母の代わりに、小学生の頃から私が作っていた。なので、買い物も上福岡駅の方の商店街でしていた。駅前に東武ストアもあったが、商店街なら駅まで行かなくても買い物ができた。自転車のカゴに買い物カゴを入れて、坂道を体重をかけて自転車で登る。八百屋、鮮魚店、精肉店。
母は北海道育ちだから、魚にはうるさかった。内地の魚は生臭いと言って、塩ジャケ以外は口にしなかった気がするし、それは今でも変わらない。ただ、冬が近づくと北海道の実家から送られて来るホッケはよく食べていた。私の場合、子供の頃にやたらと食べさせられて、好きじゃない食べ物の一つがホッケだ。
一人暮らしをするようになってからも、気がつけば商店街のある街に住んでいた。市場の上のアパートに住んでいたこともある。高円寺は商店街が沢山あって楽しかった。阿佐ヶ谷の商店街にも良く足を伸ばした。そこの質屋でDX7IIDを見つけて、自宅まで現金を取りにあったこともある。
質屋のそばにやたらと高い蕎麦屋があった。どんぶりの底に3口くらいしか量のないおろし蕎麦。天ぷらの山菜は毎日茨城の山奥から持ってきてるとか。二十年後に茨城に移転したその店に妻と食べに行ったが、二度と行くことはないだろう。蕎麦職人は料理人であって、農家ではないとつくづく思ったものだ。
笹塚では十号通り商店街、幡ヶ谷なら六号通り商店街、大島(江東区)では砂町銀座によく通った。その後に住んだ街は商店街と縁がなかった。今の自宅は区画整理されたばかりの土地なので、スタバやマクドはあっても、商店街はない。農協の直売所が商店街の代わりだ。
ああ、商店街のある街に住みたい。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)