経営者は孤独だ、と昔から言われている。かつて自分も20年ほど企業経営していたから、それはとても実感した。社員にも、家族にも、取引先にも、もちろん友人にも相談できないことがある。専門家に相談したところで、決断は自分がしなければならない。50歳近くになって初めてサラリーマンになったのだが、そりゃ気楽だ。今まで大嫌いだった給料日が待ち遠しい。
経営者にとって、給料日は会社の資金が一気に減る日なのだ。社員への感謝はもちろんしているが、資金繰りと言う冷酷な数字の世界では残高が容赦なく経営者を責め立てる。ボーナスはさらにきつい。なぜなら、役員はボーナスを受け取ることができないからだ。私もこの歳になるまでボーナスをもらったことが無いし、父も自営業だったので、ボーナスとは無縁だった。
じゃあ、孤独なのは経営者だけなのだろうか。サラリーマンになってみて分かったことがたくさんある。その一つが、中小企業では社員も孤独だということだ。大企業なら同僚もたくさんいるだろう。若ければなおさらだ。
だが、同僚が少なかったり、いなかったりする中小企業ではどうだろうか?社長、専務、常務と社員ひとりの零細企業では、誰が一番孤独だろうか。役員同士は話し相手がいるのに、社員にはいない。しかも社内の常識は多数派の役員が基準となる。役員と社員は根本的に違う。しかし、役員は社員に自分と同じことを求めるし、自分たちと同じだと思い込む。
振り返ってみれば、私もそうだった。
経営陣と社員は雇用する側とされる側。実は水と油だ。ドレッシングや洗剤のように、なにかを挟まなければ混じり合うことはない。
経営者のときは社員に「会社に対して思うことを自由に話してくれ。」言っていた。でも、社員になって分かった。言うわけがない。言ってもいいことなどない。若い社員たちはそれが分からないから、勇敢と言うか無謀と言うか、口にしてしまう。それがよかったのか悪かったのかは結果次第だ。
そもそも人間は、誰も自分の耳に痛いことを聴こうとはしない。それは批判であり非難であり、耳を貸す価値がないと思っている。優れた経営者ほど社員の声には耳を貸さない。確固たる自信と実績がある人間が、他人の話に耳を傾けるだろうか。例外は自分にアイデアや意見が無くて社員の声を求めたときのみ。
それとは別に、社員の意識調査もある。一人一人の言うことを聞いていたらキリがないが、ある程度の人数の社員が同じことを言っていれば吸い上げる。マーケティングみたいなものだ。職場環境の状況把握や改善には役にたつだろう。
だからこそ、会社が社員一人ひとりに真摯に向かい合わなければ、社員の心は会社から離れていく。「何も言ってこないから大丈夫。」と言う考えが一番まずい。しかし一人ひとりと向き合うのはとても心に負担がかかる。だから私は経営者に向かない。人と向き合うのが怖くて仕方ないのだ。「社長になろう。」などとは二度と思わない。
なるとすれば、自分の資産管理会社の社長くらいだ。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)