借金を作るたびに他人に押し付け続けた叔父のこと

投稿者: | 7月 11, 2020

私の本籍は東京都渋谷区笹塚である。結婚前の本籍は渋谷区千駄ヶ谷だった。毎度毎度、戸籍謄本を取るのが面倒ではあるが、渋谷区役所まで行くのは遠いので、笹塚出張所を使う。本籍を渋谷区に置くのが、なんとなくこだわりというか、こうしておくことで、昔、住んでいた街を訪れる機会ができるのだから、変えることは考えていない。

そもそも、この十年で住所が何回変わったことが。東京から茨城、千葉、埼玉そして今は沖縄。三年後にどこにいるのか想像もつかないので、本籍はそのままにしてある。

亡くなった父の実家は千駄ヶ谷にあった。父は三人兄弟の末っ子。実家を継いだ叔父と、医者に嫁いだ叔母がいた。叔父は放蕩癖というか、見栄っ張りというか、どんぶり勘定というか、とにかく金遣いの荒い人で、何かと細かい父との折り合いは昔から悪かった。叔父は若い頃から借金を作っては祖父に泣きついた。そこそこ資産を持っていた祖父が、毎度毎度、後始末をしていたのだが、私が生まれる数年前に、ついにシャレにならない借金を作り、実家の土地を手放すしかないところまでいった。一級建築士だった若い父は、欧米にはマンションと呼ばれる建築があると知り、それを実家の土地に建てて、一階の自宅以外を分譲することを提案し、借金を清算した。

その数年後、またもや叔父は多額の借金を作った。今度は父の資産を取り上げようと認知症の祖父を原告にして、父相手に裁判を起こした。その最中に祖父は亡くなった。叔父は実家に駆けつけた父を家に入れなかった。結局、叔父は借金を浜松の奥さんに押し付けて離婚し、愛人とともに東京に逃げてきて再婚した。浜松の叔母は小さい頃に私も遊んでもらったことがある。私が中学生の頃に自殺して亡くなった。朝日新聞の社会面に、小さく記事が出ていたのを今でも覚えている。

その十数年後、叔父はまたもや三億円近い借金を作り、それを私の従姉妹でもある、長女夫妻に押し付けた。ついに千駄ヶ谷の7LDKのマンションを売り払い、目黒に引っ越した。そこでも色々とトラブルがあったそうだ。

父の死をキッカケに、長らく途絶えていた叔父方の従姉妹との交流が復活した。特に十歳上の長女夫妻に、私は小さい頃からよく面倒を見てもらっていた。彼女は、昔から父親である叔父が大嫌いだ。なのに叔父は何かと言うと、今でも彼女を頼りにする。久々に会って聞いた言葉が、

「あいつ、早く死ね。」

私も中学生くらいから叔父が嫌いになった。叔母夫妻には幼い頃に暴言をかけられ、無視されてたので、昔から大嫌いだった。その夫妻も数年前に一人ずつ孤独死したそうだ。

久しぶりにゆっくり再会した従姉妹夫妻から聞かされた話は衝撃的だった。再婚した叔父の奥さん、つまり叔母は数年前に認知症ですっかりボケてしまったのだが、叔父は看護するわけでもなく放置モード。ついに叔母が自宅の屋上から飛び降りようとしたので、従姉妹が施設に入れた。従姉妹夫妻は三十年で残り数千万円まで借金をコツコツと返済した。叔父の借金はすべて遊興費だったとか。

現在、叔父は九〇歳手前、一人で気楽に飄々と生きている。妹である叔母夫妻も、弟である父も、叔父は死んだことをいまだに知らない。父の遺言には叔父を葬儀に参列させるなと書かれていた。死ぬ順番が間違っている。「憎まれっ子、世にはばかる。」とは言ったものだ。

時代が令和になり、叔父はついに叔母と同じ施設に入居したそうだ。財産はゼロ。叔父の部屋はゴミ屋敷と化していて、掃除が大変だとこぼしていた。