台湾の思い出 親日国家でも嫌いなものは嫌い

投稿者: | 7月 11, 2020

経済交流で台湾に来たのだが、私は台湾人と仕事をしようと思わない。台湾でビジネスをしようとも思わない。韓国人や中国人に対しては、このような感情を持っていない。

20年前、自社開発したソフトウェアは台湾でも大ヒットした。しかし、台湾企業による相次ぐ模倣品の販売、模倣品によるデータ盗用被害などが発生した。データを盗用した会社に顧問弁護士が警告したら、相手から著作権侵害で警察に刑事告訴された。ウソでもでたらめでもいいから「やられる前にやれ。」である。しかも、民事提訴ではなく刑事告訴である。

もちろん、不起訴に終わった。盗まれたのはこちらなのだから。さらに提携先にも騙され、契約は守られず、被害は大陸へも及んだ。裁判を起こしても、台湾の法律では勝ち目がないと弁護士に言われ、台湾の何もかもが信用できなくなり、契約解除。わずか2年で撤退。

台湾での利益は、すべて法務費用に消えた。

このような目に遭っても、台湾の食文化は大好きだ。国民党が共産党との内戦に敗れ、台湾に逃げて来た時に、釣魚台(国賓を迎える施設)のコックも一緒だった。中国全土の腕利きの料理人らが台北に逃れ、その後、自分の店を開いた。

だから台北は一都市でありながら、中国全土の料理を食べることができるのだ。20年経ってもそれは変わらない。

それどころか、台北がものすごく日本化していることに驚いた。若い日本人が多くビジネスをしている。日本の店が日本語の看板で日本と同じように営業している。20年前とは大違いだ。日本人同士であれば、私も台湾でビジネスができるのかもしれない。

ああ、一つだけ例外があった。台湾から撤退しても、技術供与をし続けた相手が一つだけいた。それは淡江大学盲人視覚系統開発室だった。