宇都宮といえば餃子だ。近年はジャズの街ともアピールしているが、全国的には餃子の街だ。宇都宮には色々と思い出がある。十年前になるだろうか。ある土曜日の事、妻と私は早朝に目が覚めた。そうだ、民主党政権の頃だ。高速が千円均一になったので、妻とあちこちにドライブによく行った。その頃は千葉県松戸市に住んでいたように思う。
ある土曜日の朝、妻となんとなく宇都宮に行こうという話になり、車を出した。常磐道から外環道を通って東北道から北関東道へ。宇都宮上三川インターで降りて街の中へ。国道沿いに大きなパチンコ店を見つけた。特に目的地もなかった私と妻は、パチンコ店の駐車場に車を入れ、開店を待つ列に並んだ。初めての店だ。
10時になり自動ドアが開くと、ほとんどの人がパチンコCR花の慶次に向かったので、妻にもそちらに行くよう指示した。妻は最後の一台に座れたが、その台が空いている理由はなんとなくわかった。前日、大爆発していたのだ。それでもまあ、いいかと、この台を打つように妻に言った。私はCRエヴァンゲリオンに座った。
最初は私がすぐに大当たりして5〜6箱出したように思う。妻は当たるが連チャンしない。だらだらと出ては飲まれ出ては飲まれの繰り返しだ。少しずつ金も減っていく。昼を過ぎる頃、まわりの台はみんな当たってるのに、妻の台だけ不発だ。
「どうする?」
妻が尋ねてきた。ご飯を食べよう。それから頑張って打とう。
昼食を摂り、また二人は座った。昼は何を食べただろうか。何やら宇都宮餃子会に属さないニューウェーブの餃子やらを食べて、イマイチだねって話をした記憶がある。
昼食後、妻の台がついに噴き出した。大連チャンだ。それまで出していた周囲の台はみんな飲み込まれ始めて、詰んでいた箱はまるまるなくなっていた。それを尻目に妻は箱を積んで行く。午後四時頃には、みんな台を捨てて帰ってしまった。妻の台は大爆発だ。
私も玉をすべて飲まれて追い銭していた。当たらない、続かない。午後六時になり、ようやく当たり出した。連チャンだ。妻の台はまだ噴いている。七時頃には妻の玉は万両箱に移動させられた。午後九時。戦闘終了。妻は40000発を出していた。私もどうにか20箱出した。等価の店ではなかったが、戦果は二人で17万円くらいの勝ちだった。宿を手配して居酒屋で祝杯を挙げた。
当時はそんなことをよくやっていた。楽しかったなあ。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)