餃子の街 宇都宮の思い出 ~妻と旅打ち~

投稿者: | 7月 11, 2020

宇都宮といえば餃子だ。近年はジャズの街ともアピールしているが、全国的には餃子の街だ。宇都宮には色々と思い出がある。十年前になるだろうか。ある土曜日の事、妻と私は早朝に目が覚めた。そうだ、民主党政権の頃だ。高速が千円均一になったので、妻とあちこちにドライブによく行った。その頃は千葉県松戸市に住んでいたように思う。

ある土曜日の朝、妻となんとなく宇都宮に行こうという話になり、車を出した。常磐道から外環道を通って東北道から北関東道へ。宇都宮上三川インターで降りて街の中へ。国道沿いに大きなパチンコ店を見つけた。特に目的地もなかった私と妻は、パチンコ店の駐車場に車を入れ、開店を待つ列に並んだ。初めての店だ。

10時になり自動ドアが開くと、ほとんどの人がパチンコCR花の慶次に向かったので、妻にもそちらに行くよう指示した。妻は最後の一台に座れたが、その台が空いている理由はなんとなくわかった。前日、大爆発していたのだ。それでもまあ、いいかと、この台を打つように妻に言った。私はCRエヴァンゲリオンに座った。

最初は私がすぐに大当たりして5〜6箱出したように思う。妻は当たるが連チャンしない。だらだらと出ては飲まれ出ては飲まれの繰り返しだ。少しずつ金も減っていく。昼を過ぎる頃、まわりの台はみんな当たってるのに、妻の台だけ不発だ。

「どうする?」

妻が尋ねてきた。ご飯を食べよう。それから頑張って打とう。

昼食を摂り、また二人は座った。昼は何を食べただろうか。何やら宇都宮餃子会に属さないニューウェーブの餃子やらを食べて、イマイチだねって話をした記憶がある。

昼食後、妻の台がついに噴き出した。大連チャンだ。それまで出していた周囲の台はみんな飲み込まれ始めて、詰んでいた箱はまるまるなくなっていた。それを尻目に妻は箱を積んで行く。午後四時頃には、みんな台を捨てて帰ってしまった。妻の台は大爆発だ。

私も玉をすべて飲まれて追い銭していた。当たらない、続かない。午後六時になり、ようやく当たり出した。連チャンだ。妻の台はまだ噴いている。七時頃には妻の玉は万両箱に移動させられた。午後九時。戦闘終了。妻は40000発を出していた。私もどうにか20箱出した。等価の店ではなかったが、戦果は二人で17万円くらいの勝ちだった。宿を手配して居酒屋で祝杯を挙げた。

当時はそんなことをよくやっていた。楽しかったなあ。