オフィス フレイド

オフィス フレイドへようこそ

当事務所ではさまざまなコンサルティング事業を行っています。

  • 企業が抱える様々な問題を解決するチカラになります
  • 全国の中小企業とつながりたい大手企業の手助けをいたします
  • あなたのビジネスアイデアを「見える化」します

オフィス フレイドは代表の齋藤孝春が一人で活動しています。私の経歴を簡単にご紹介します。

20代【モノづくり】ベンチャー企業として

バブル時代、大学生のときにアルバイトでたまたま電機メーカーの大規模プロジェクトに参画しました。そこで突出した開発力と技術力が開花し、わずか半年で知人と会社を設立しました。そしてバブル崩壊の平成4年に独立し、アルバイト時代から続く、電機メーカーが新規に開発した大規模光通信システムのプロジェクトを受託しました。

7年間通った大学を辞めました。

パソコン通信時代からネットを活用してきました。毎晩RT(リアルタイム会議)をしながら、文字だけのコミュニケーションで飲み会をしていました。

その後、インターネットが一般に開放され、その世界に触れたとき、パソコン上における様々な言語の壁に気づきました。これを解決するために1996年、世界初のワンタッチ辞典アプリ「ロボワード」を生み出し、ソニーVAIO、東芝ダイナブック、富士通FMVにプリインストールして出荷されました。

出荷されたのは日本国内だけではありません。中国連想集団(現レノボ)や台湾ギガバイトの製品にも同梱されました。東南アジアでは海賊版が流通し、いくつかの国ではマニュアルまでそっくりの模倣品が販売されました。

日本製のビジネスアプリとしては初めて海外で認知されました。

自社製品のヒットをきっかけに,、大手企業の下請けを担う中小企業から、自社で製品やサービスを開発するベンチャー企業へと大きく舵を切りました。

しかしインターネットの普及とともにソフトウェア市場は急速に変化していきました。楽天などのショッピングモールの台頭により、既存の流通チャネルが衰退していきました。その解決策として1998年にネット販売事業を立ち上げ、10年間運営しました。

30代【人づくり】人材育成とのかかわり

同時期、事業が拡大していく中で深刻な人材不足に陥りました。海外のエンジニアは確保できても、日本人の技術者がまったく採用できません。2000年問題を目前に控えて、大企業でも深刻な人材難の時代であり、中小のベンチャー企業に目を向ける人はいませんでした。

そこで地方なら人材がいるのではないかと沖縄に進出しましたが、求めるレベルの人材は皆無でした。地方では雇用確保のために質より量の政策がとられていたためでした。

私はすべて独学でソフト開発をマスターしてきました。

自身の経験を活かし、地元教育機関及び行政と連携して、学生にOJTとして実務経験を積ませ、即戦力人材を育成する事業を立ち上げました。これが大きく評価され、経済産業省及び文部科学業の事業に採択されました。

1999年に大手教育関連企業のTOEIC eラーニングシステムを受注、無事に納品し、その後10年にわたってサーバーを含め運営を担当しました。

センター試験合否判定サイトをゼロから一週間で立ち上げ、翌年には複雑な大学受験方式の判定方法の考案及び実装を三大予備校に先んじて実現しました。こうして再び受託開発も始めましたが、エンドユーザーとの直接取引に限定し、下請けの仕事はしませんでした。

多くのコンテンツを有する出版社の電子化にも携わりました。英和・和英・国語のみならず、ヨーロッパ言語を含む12か国語電子辞典のリニューアル、ステッドマン医学英和辞典など専門領域のコンテンツ等の開発を担当し、ソフトウェアをライセンスしました。

セキュリティ関連でも技術力が評価され、IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)の委託事業に採択されました。

加えて辞書アプリの商品力及び技術力が評価され、経済産業大臣から表彰を受けました。

40代【人生の転機】廃業と就職

リーマンショックで売上が急減し、金融機関からの借入が売上高の3分の2まで膨らみました。財務担当者は音を上げて退職を求めてきました。担当者に財務を丸投げするのを止め、金融機関との折衝を自分が担当しました。本社を東京から沖縄に移転して拠点を減らし、営業を取引先に委託して開発に特化しました。

これにより3年間で借入を6割削減しました。

ようやくキャッシュフローに余裕が出た矢先、様々なトラブルに見舞われて損失が発生しました。売上も再び下がり、そこに東日本大震災の発生により流通がストップ。大きな売上を失うとともに、資金繰りの対応に追われることで開発力が低下しました。

教科書の電子化を見据えて、高効率の辞典検索ができるスマホアプリも開発しました。ですが悪い方向に回りだしたスパイラルを停めることはできず、刀折れ矢尽きた私は、資金のあるうちに会社を清算することにしました。

その後、沖縄のマンション開発会社に転職し、並行して会社の清算と個人破産をしました。働きながらですから準備には1年以上かかりました。破産申し立ての2か月後、妻との結婚披露宴を盛大に行いました。贈っていただいたご祝儀が管財人のもとに届くようなこともありました。

数か月後、裁判所から免責許可が決定され手続きが完了しました。企業のクロージングに清算や破産をしても怖くないことを実感しました。資金のあるうちに戦略的に法律を活用すれば、生活を立て直すことが可能です。加えて現在では企業再生のための制度が数多くあります。

生まれて初めて就職したサラリーマン人生では、健康食品販売や分譲マンションの県外・海外販路開拓、新規事業会社及び経済団体の企画及び設立・運営など、新規事業開発を中心に業務を担当しました。事業規模1億円の補助金事案も統括しました。

エンドユーザーの立場になり、IT業界から離れて宅建士の資格を取得したことや、経営者を経験したのちにサラリーマンとなったことで、過去の行動に気づかされることが幾多もありました。

50代【縁結び】人をつなぐ、事業をつなぐ

2020年、コロナショック。

サラリーマンを辞めてフリーとなり、コンサルティング業務を行うことにしました。現在は地元新聞社2紙の著作権ビジネスコンサルティングや海外企業が展開する海外市場における医療テック事業のプランニングに携わっています。

私が得意とするのは0から1を生み出す新規事業開発です。自分自身がたくさんの失敗と少しの成功を経験してきました。

また簡単には語りつくせない膨大な知見は、多くの企業様が抱える問題の解決に役立つと自信をもって言えます。著作権ビジネスコンサルティングも、ソフトウェア事業で培った知的財産ビジネスの経験を活かしています。

この10年間、経済団体にて多くの役職をいただきました。その活動を通じて、数多くの中小企業経営者と知り合いました。北海道から沖縄まで日本全国津々浦々に知人がいます。軽くランチに誘える経営者なら数百名はいます。

営業が苦手な私ですが人の紹介ならば可能です。クライアントと私の知人たちがウィンウィンの関係になれる、お互いにメリットがある、1+1が3以上になる相乗効果が期待できるスキームを考案し、事業として成就させることを目指しています。

人と人とを結ぶ「縁結び」が私の人生最後のミッションだと思っています。

私はコンサルタントです

私は経営者に向いていません。今までの人生を通じて、様々な勉強の機会を得て、経営者に必要な要素を理解しました。トップとして対峙しなくてはならないことも、率先して行うべきことも分かりました。

自分にはできないことばかりです。

学生時代に会社を立ち上げたのも生活のため、受託すべき案件があったからで、何かをしたくて仲間と立ち上げたわけではありません。

チームを預り、マネジメントし、結果を出すことは得意ですが、自分でチームを立ち上げて存続させることは苦手です。

外部の人間として組織にかかわり調整をすることは得意ですが、組織内部の人間としてチーム運営することは苦手です。

事業を創造して軌道に乗せるのは得意ですが、それを大勢で一丸となり発展させることは苦手です。

コンサルタントとしてクライアントに寄り添い、事業の発展に尽力するスタイルが自分には向いているのだと自覚しています。

業務依頼について

業務依頼は直接お請けしておりません。顧問バンクもしくはマイナビ顧問からご依頼くださいますよう、よろしくお願いします。

顧問バンク
マイナビ顧問

詳細な職務経歴は上記を通じてご提供いたします。

よろしくお願いします。

オフィス フレイド 代表 齋藤孝春