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本日の戦利品
「いっぱいもらっちゃった!」
前日に売れ残った惣菜を妻が大量に持ち帰ってきた。20パックはあるだろうか。少なくとも、4人家族が買うような量ではない。三世代家族の食事2回分は余裕であろう。
妻は惣菜店の調理場で働いている。製造は勤務時間が早番だ。その日の売れ残りは翌日の特売品となるので、妻が持ち帰るのは常に前々日の売れ残りか、本日の失敗作、もしくは余った試作品である。
たまに食品サンプルを持ち帰る。ある日は大量のタルタルソースだった。食べてみるとおいしくない。
「これなに?」
妻に尋ねると、業者が売り込んできた既製品のサンプルだという。
「おいしくないでしょ?」
ふむ、不味い。妻の職場は手作りにこだわっている。お値段は少々お高いのだが、その分、確実に美味である。この店の社長は調理の腕は確かなのだ。
だが経営者としてはゲスだ。
我が家のテーブルの上に展開された大量の総菜。ああ、これで晩御飯を作らなくて済む。家計が助かる分には嬉しいのだが、明らかに売れ残る数量と頻度が増加している。以前は大量に持ち帰ってくることなどなかった。売切御免が当然であった。
妻の職場に何が起きているのか?
「店長ごっこ」という危険な遊び
妻の職場には製造担当者が4名いる。妻より若い女性スタッフが2名、そして10歳上の男性が一人だ。この男性は大阪から沖縄に来たそうで、以前は大きな駅ビルの飲食チェーン店でフロアマネージャーをしていたそうである。早期退職をして沖縄に移り住んだそうな。
しかも老後は地元に戻って惣菜店を開きたいらしく、沖縄に住んでみたいという現在の欲求と、老後の生活のための未来への欲求を同時に満たすのが、この仕事らしい。
問題はこの店に店長がいないことだ。
数か月前まではいたのだが、妻が入って間もなく、社長からのパワハラと激しいブラック勤務ぶりに耐えられずに退職してしまった。
社長が店に顔を出すのは、午前中に一度だけ。人手が足りないときは製造を手伝うようなのだが、もう一店舗、仕出し弁当の店もあるために、今はそちらにかかりっきりなのだそうな。
社長は店の運営をスタッフに丸投げしている。
「みんなで考えてね、よろしく。」
丸投げ自体は悪いことではない。問題なのは、みんなで考えるためにはコミュニケーションをとる時間、情報を共有する仕組みが不可欠なのだ。
だが、妻によれば朝礼もなければ申し送りもないとのこと。年齢的に年上の男性が場を仕切ることが多いようなのだが、彼は実は経験が浅いために、ミスをよく犯す。
しかし責任は取らない。
スタッフに指示した内容が間違っていて、それをたまたま見た社長がスタッフをとがめていても、頬被りだ。自分が指示したとは絶対に言わないそうだ。
職責を負わない人が勝手に指示を出して店長ごっこをしている。スタッフは黙っているが、内心は「このナイチャーのおっさんが!」とバカにしているそうだ。
社員を見ない経営者はツケを支払うことになる
とはいえ諸悪の根源はこの男性にあるわけではない。社長なのだ。
丸投げをするのならば、店の運営についてきちんとみんなで話し合う時間を勤務時間中に取らなければならない。今日の仕事の内容、注意点、気づいたことを10分でいいからミーティングをするだけで、状況はまったく変わるのだ。
ミスが減れば生産性が上がる。ミスをすれば生産性が下がる。
経営者は得てして「ミスはしないもの。」という前提でものを考えるところがある。人間は誰でもミスをする。どんなに注意しても一定の確率でミスは発生する。
だからこそミスの発生率を下げる対策をしなければ、生産性が上がるわけがないのだ。
「気を付けてください!」
口頭でいくら注意したところで、人間の精神に頼る方法では失敗は防げないし、科学的かつ論理的なアプローチができない人は経営者に向いていない。
思い付きでものを言い、自分の欲求だけで物事を進めれば、周りは振り回された挙句に疲れ果て、付いていくのを止めるものだ。
ああ、自分で言っていて耳が痛い。
案の定、妻の店はミスが多い。社長もミスをする。その尻ぬぐいをしているのはスタッフたちだ。効率が落ちて生産性が下がり、目標の売上分を生産できない。毎日、機会損失が発生する。定休日を毎月変えていたために客も混乱したのだろう。以前よりも客足が落ちている。
負のスパイラルだ。
経営者にマネジメントなる発想は皆無なのだろう。
上に政策あれば下に対策あり
恐ろしいことに、このところスタッフはミスを平気で隠ぺいする風潮にあるという。なにかあっても責任取るのは社長だから、とスタッフたちは達観してしまったらしい。
社長が私たちのことを考えないのだから、私たちも店のことは考えない。
正論だ。
さすがに食中毒にはならないと思うが、店の雰囲気が悪くなり、生産性はさらに下がり、機会損失がますます増えるような状況は十分にあり得るだろう。
せめてあと半年は妻の職場がつぶれないことを祈るばかりである。
(※この話は実話をもとにしたフィクションです)

50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)