中原中也について35年ほど間違っていたこと

投稿者: | 7月 11, 2020

昨夜から山口県防府市に来ている。夕方まで予定がないので、せっかくだから観光に行こうと思っていた。山口と言えば維新、松下村塾などに興味がある人が多いのだろうが、私はそちらよりも中原中也記念館に行って見たかった。

高校の時だろうか、国語の授業で強烈な印象を受けた詩人は二人。中原中也と萩原朔太郎。

「てふてふが一匹、韃靼海峡を渡っていった。」

え?それは中原中也ではない?そうなのです。今の今まで、中原中也と思い込んでいたのだが、まったく別人の作品だ。

高校の国語の授業で習ったのは「一つのメルヘン」。幻想的で、かつ、理系な表現の詩に一気にファンになった。図書室で借りた詩集「山羊の歌」で強烈だったのが「汚れちまった悲しみに」。宇宙戦艦ヤマト2199でも真田さんが愛読していた。

萩原朔太郎の方は「艶めかしい墓場」。教材にこんな作品を選んでいいものかと驚いただけで、これ以外の作品は読んだことがない。だから萩原朔太郎にはさほど興味がない。

昨晩、新山口駅で中原中也記念館の看板を見つけて、山口出身だと知ったのだ。これは行かねば。山口市民が言うには、記念館は湯田温泉と言う場所にあり、電車よりも車で行くほうが断然早いとのことだ。調べてみると、ホテルの近くから記念館までバスも走っている。

しかし、今日は強風の上、午前中は雨が降っていたので天気が悪い。外出を止めてホテルで仕事をしていたのだ。

明日にしよう。