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昭和歌謡大会
知人が蕨駅近くでスナックを営んでいる。かなり長くやっていると思った。オープンしたころは若かった彼女も今では五十路。四年前に共通の知人で、観光業を営む知人と再婚したり、宇都宮に店を出してみたり、なかなかアクティブな女性だ。ただし、最近は店を手伝うことは少なく、ほとんどは旦那の観光業のサポートに回っている。
ここ数年の彼女の自己紹介の定番フレーズは下記の通り。
「店の女の子から戦力外通告を受けまして。」
たまに店に顔を出すと、昔からの客も喜んではくれるが、隣に座らなくていいからと、つれないそうだ。確かにこの店はスナックとは言え、従業員に若い女性が多い。ほとんどが平成生まれだ。南浦和での会議を終えた、アラフィフ軍団のおっさんどもは昭和歌謡しか歌えない。私はボカロを歌いたいが、浮くのでいつも我慢する。
だからおっさんとのカラオケはつまんねえんだよ(涙)
キャバクラの女の子たちとならものすごく盛り上がるのに、昭和でおっさんたちと盛り上がってもねぇ…カラオケを歌うおっさんに「ガラスの少年って平成じゃないのか?」とクレームがついた。いやいや、昭和63年だよ。そうか、Kinki Kidsもデビューして30年以上経つのか。そりゃ、おっさんになるわな。
泥酔サラリーマンの醜態
あーあ、頭にネクタイをまくわ、カラオケに合わせて脱ぎ始めるわ、おっさんの裸なんざ見たかねえ。パンツ脱ぐのだけはやめろ。なんでこう裸族ってのは全国に分布してるんだろうねえ。
え?隣の女性が私の肩に手を伸ばしてきた。積極的だなぁと顔を向けてみたら、その手は女の子を挟んだ席のおっさんのものだった。
紛らわしいんだよっ!
朝五時起きで沖縄から東京に来て、13時から準備も含めて会議。終わって17時から懇親会。19時に終わって蕨まで移動、19時半から女の子もいないのに無理やり店を開けてもらい、騒いでるうちに通常の開店時間となり、常連客も入り始め、おっさんたちが弾けているまさに、今ここだ。
下北半島の北端にある、むつ市から訪れた佐々木さんが私に行った。
「あの、焼き鳥食べに行かない?僕も眠いし、塩辛いの食べてホテルに戻りたいよ。」
佐々木さんは私より二歳年上だ。塩辛いものが好きなのは、さすが国内最短命のむつ市で生まれ育っただけある。
「南浦和の駅前に、ベトナム人のやってる焼き鳥屋があったよね。あれ、なんて店だっけ?店主の名前がついている店。」
まあいい。
今日は二人とも、大水さんが営む南浦和のビジネスホテルに宿泊だ。私は浜松町の社宅に戻るつもりであったが、もう無理だ。スナックに入った時点で、部屋の手配を大水さんにお願いした。タクシーより泊まった方が安くて楽だ。薬を社宅に置いてきたのは失敗だった。今までにも何度かある。薬は常に持ち歩かなくてはならないと痛感したことが。
「ああ、あれね!ハンサム君の店ね!」
だいぶん酔っている大水さんが言った。そんな名前だっけな?
「ベトナム人がやってる店で、本当においしいの?」
佐々木さんが私に疑いのまなざしを向ける。いや、美味いって。社宅の近くにある和食居酒屋も中国人がやってるけど、なかなかうまいよ。日本人が美味しいフレンチや中華を作れるんだから、その逆もしかりでしょ?
「そうなんだ。じゃあ、店を出よう。」
私と佐々木さんは会計を済まし、でろでろに酔って騒いでいるアラフィフのおっさんどもを残して、早々に退散した。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)