目次
価値観の逆転
新型コロナウイルス肺炎の第三波が日本で猛威を振るっている。政府が再び緊急事態宣言を出すことで、経済は再び下降するだろう。
政府は経済対策の一つとして雇用調整助成金の拡充を行ったが、財源が1兆7千億円も足りないうえに、来年度には積立金などの財源まで底をつくとのことだ。
政府は雇用を維持するために企業に社員を解雇しないように要請している。そのための助成金だが、このような戦争並みの不景気を前提にしていないだろう。
第2次世界大戦を最後に、世界規模の戦争は起きていないし、今後も起きないだろう。戦争が起きないのならば世界的に経済が打撃を受けることもないだろうと、誰もが思っていたに違いない。
誰がこのSFじみた状況を想像できただろうか。
スペイン風邪が比較に出されるが、第1次世界大戦中(1918年)に発生したので、経済には打撃がなかったようだ。流行の様子は引き合いに出されても、経済で比較されるのは世界大恐慌(1930年)だ。
もう一つ、コロナ禍で日本に限らず世界の常識が変わった。まさにアフターワールド。「人と直接会って、顔を見ながら話す。」ことが美徳とされていたが、「人と会うのは感染症のリスクを負わせるから相手の負担になる。」と価値観が真逆になった。
これが効率化が進まなかったこの国を一気に動かした。リモート会議、セルフ化、在宅ワークなど、移動に要する時間をカットするお題目ができたのだ。
対面の商売は困難に直面している。飲食店は清潔な厨房とゆとりのある空間で構成されたフロアが重宝されたが、今やイートイン程度で十分である。持ち帰りやケータリングが好まれた結果、フロア要員は不要になり、調理師と配達員の需要が増えた。もっともセントラルキッチンであれば調理師も不要だろう。
コロナが収束しても元の世界には戻らない
未曽有の国家的危機に既存の枠組みで対応するのは不可能だ。国が企業に金を配り、社員の面倒を見ろというのも難しくなっている。
むしろ企業はどんどん解雇すればいい。債務超過の企業は潰せばいい。社員の面倒を会社が見るのではなく、政府が国民の面倒を見ればいいのだ。
解雇や退職して職がない人は2年限定で生活費を支給すればいい。その代わりに中期的な職業訓練を受けさせ、コロナ後の経済社会に適応できる人材に育て上げたらいいのではないか。
中小企業の経営者も破産したらすべてを取り上げるのではなく、金融機関の連帯保証人となっていたとしても、生活に必要なある程度の資産を残し、免責決定後も金融機関からも多少の信用、クレジットカードくらいは作れてもいいと思うのだ。
破産したら借金がなくなるのだから可処分所得は増える。財務的には健全化するのに金を貸さないのはもったいない。ギャンブルや遊興で破産した人たちと同列にするのはどうだろうか。
そして最低賃金を1500円くらいに上げる。賃金が上がらなければ物価は上昇しない。物価が上昇しなければ借金は減らない。
奨学金で苦しんでる人たちが多いのは、物価上昇が前提の返済モデルで金を借りたのに、デフレで借金が膨らんでしまったからだ。
沖縄にはブラック企業が今でもたくさんある。残業代も支払われず、法定労働時間すら守られない。それを労基署に訴えても無意味だ。職員が指導に来たところで「雇用者から訴えられないようにうまくやってください。」と経営者に伝えるだけなのが実情だ。取り締まれば多くの企業が処罰対象になり、地域経済が成り立たなくなるからと労基署が現状を黙認しているためだ。
日本商工会議所は中小企業の経営者の集まりである。当然、賃上げに反対する。
それでは中小企業で働く労働者の声は誰が代表してくれるのだろうか?
お金をたくさん発行すれば価値が下がる。インフレになる。国債を一時的に大量に発行しても、将来的にインフレになれば予算規模が増えて借金の価値は下がる。相対的に価値の上がった外国債を売ればかなりの利益を確保できる。借金をチャラにできる。
外国は物価が上昇している。日本だけ上がっていない。負け組なのだと海外に行くたびに実感した。
失業して感じたが、失業認定はハローワークに行く必要があるだろうか?ネットの手続きで十分ではないだろうか?書類を出して記入が正しいか確認されるだけだ。おまけに、ハンコ廃止と政府は言うのに、現在でも捺印を求められるのだ。
デジタル庁は機能するか?
そもそも「デジタル化」は手段であって目的は大胆な効率化だ。このことを分かっていない人が大半ではないだろうか。なんでもかんでもデジタル化すればうまくいくわけではない。誤ったIT導入、デジタル化によってオペレーションが複雑化し、生産性が落ちた例は山ほどあるのだ。
大企業にいる人材が最適なIT導入をできるわけではない。外注に丸投げ、売上至上主義で詐欺同然に入れさせた、なんてことはIT業界では昔から常識だ。
民間から人材を集めるというが、華麗な経歴と流ちょうな説明だけで人材を選ぶ官僚が、デジタル化を成功させられるとは思えない。
そもそも役人に人材を見る目があるだろうか。
マイナンバーカードがいい例だ。思想は正しいが仕様は失敗だ。有名な大企業に開発を依頼したのに散々である。広い視野でグランドデザインできる人材がいなかったことが原因であろうことは自明だ。
極論すると日本の大企業の強みは「研究」「営業」「ブランド」である。残念ながら企画や開発ではない。それらは外注が支えているのだ。
まあ「行政に失敗はない。」の格言通り、無理やりにでも成功したことにするのが役所だ。
ピンチはチャンス
この国は常に外圧や不可抗力によって社会の仕組みがガラガラポンとリセットされ、飛躍的な成長を実現してきた。
デジタル庁もいいのだが、もっと根本的なパラダイムシフトを大胆に政策にできる政治家や官僚がいなければ、日本は凋落の一方だと思う。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)