敵性証人 ~裁判の禁じ手とも呼ばれる貴重な体験~

投稿者: | 7月 11, 2020

八月のある日、裁判所から一通の手紙が届いた。とある民事裁判の証人として出廷し、証言しろと言う。

身に覚えがない。

いや、正確に言うとその裁判の被告側に私は証拠を提出しているが、証人として私を呼んだのは、原告なのである。本来なら、被告から証人として出廷要請があって然るべきだが、逆なのだ。

意味が分からない。

その昔、IT系の企業を経営していた頃に、那覇市の施設であるIT創造館に入居していた。そこのO館長が施設を私物化したり、予算を食い物ししていたりとやりたい放題で、腹に据えかねたとある入居企業のA社長が、この館長を告発する記者会見を開いた。その内容が事実無根であると、O館長がA社長を名誉毀損で訴えたのだ。

その後、A社長は三年に一度の施設の指定管理者の選考会で、O館長に変わって指定管理者に選ばれた。ところがO館長と親しかった当選4回のベテラン市議が、議会でこの管理者選考には問題があると提起し、議会は選考結果を承認しなかったのだ。以降、この施設は指定管理者を置かずに、那覇市が直接管理している。

ちなみにこの議員は四ヶ月後の市議選において、ものすごく少ない得票数で落選した。この結果には私も大変驚いた。どう考えても落ちるとは思えなかったからだ。しかし、彼は市役所の職員にいばり散らしていて、かなり恨みを買っていたようだ。職員の間では、あいつは次の選挙で落ちるから、とささやかれていたそうだ。市職員を敵に回した市議は選挙で勝てないと聞いた。職員の情報発信力はバカにできないのだ。

その施設を退去するときに、現状復帰をしなければならないのだが、退去届には館長が指定する業者に工事をさせなければならないと書いてあった。深く考えずにO館長に見積もりを依頼したところ百万円を超える金額の見積書を渡された。

なんじゃ、こりゃ?払えるわけなかろう!

驚いた私は知人や顧問弁護士に相談した。内装業をしている知人は、こんなに高いはずがない、気持ちが悪い、と吐き捨てるように言った。別の知人は公的施設において指定管理業者が特定の業者を指定することは、消費者の選択権を奪う行為だからおかしいと言った。

知人に見積を依頼したところ、半額以下であった。私は自分の選んだ業者に現状復帰工事をさせるようにO館長と交渉した。最初は指定した業者じゃないと施設のレベルが保てないとか、そんなことを言って渋っていたが、最終的には知人に依頼して、引き渡しも問題なく終わった。

とにかくO館長には入居中にいるんな目に遭わされた。会社も清算した今となっては、思い出したくもない。はっきり言って黒歴史だ。

この館長から渡された見積書と、知人が出した見積書を裁判の証拠として提出した。対して、相手側の弁護士からは、私の人間性を攻撃する反論が提出された。退去後、那覇市に入居時代の話として、東日本大震災の影響で三ヶ月の家賃を滞納した時に、O館長から罵倒されたとあるが、退去時には滞納した家賃八ヶ月分を支払う和解書をO館長と交わしている。これは矛盾しているので、証拠も疑わしいと言うものだ。

顧問弁護士にこの件を相談すると、相手側の証人を適性証人の呼ぶが、これを証人として呼ぶなんてことはまずやらないし、聞いたことがない。国民の知る権利にも答える義務があるし、嘘をつかずに覚えていることだけ答えればいい、覚えていないこと、分からないことは素直にそう言えばいいから、ぜひ裁判に行きなさいと勧められた。わずかだが日当も出るので、行くことにした。

さて、裁判当日。相手弁護士はこの点をしつこく質問してきた。私に「間違いでした。」と言わせたかったのだろう。しかし私は言わなかった。相手弁護士は言った。なぜ那覇市に対してこのような発言したのかと。私は答えた。

「入居時代のことは思い出したくもないし、忘れるようにしてきた。今はIT業界にもいないので、O館長の顔を二度と見ることはないと思っていた。その上で、六年前に自分が、どんな気持ちでこのような発言をしたのか、思い出せるわけもないだろう。」

被告弁護士からもいくつか質問があったが、こちらはもともと味方だ。私の証言を確認する質問ばかりであった。

証人喚問も終わり、ホッとして車を運転していた裁判所の帰り道、突然、私はすべてを思い出した。

そうだ。震災で取引が激減して資金繰りに窮し、当面の家賃が払えなくなった私は、O館長に相談したのだが、あんたの会社がどうだろうか知ったこっちゃない、家賃を払えと大声で怒鳴りつけられた。

困った私は、那覇市の担当部署に相談したところ、職員が話し合いに同席してくれることになった。その席で、家賃のことで館長から怒鳴りつけられたと説明したところ、O館長は「そんなことしましたっけ?」とすっとぼけたのだ。那覇市が間に入ってくれたから、家賃滞納も和解に持っていけたのだった。

もう少し早く思い出していればなあ。