娘の三者面談 ~高校受験の思い出~

投稿者: | 7月 11, 2020

予備校に通うハルハルから三者面談のために学校に来て欲しいと連絡があった。

三者面談かあ。

中学校までは家庭訪問というのがあったが、高校では親が学校に来たことはないと思う。高校時代の三年間で父親と口を聞いたのは数回だったと記憶している。教科書代をくださいと言ったような。

父は私に進学校への入学を希望していた。私もそのつもりだったが、合格安全圏内にレベルを落とした、単願の公立高校がまさかの不合格。入試は200点満点で自己採点は178点。受験をあきらめた第一志望すら余裕で合格できた点数だったのに、不合格。

理由は内申書に有ったらしい。中二の時につけられた美術の1。作品を提出しなければ成績は1だと言われていたので、提出したのに1だった。意味が分からずに、美術教師に抗議したが、作品が見つからないから1だと突っぱねられた。失くしたのはそっちだろうに。

理不尽だ。

だから教師は大嫌いだ。母は父に指示されて、私立の進学校のパンフレットを取り寄せ、私に二次募集を受験するように言ったのだった。本当に受験していいのかと思いつつ、願書を出す準備をしていたら、あまりにも高額な入学金、寄付金を見た父が、受験はまかりならんと言ってきた。

理不尽だ。

学校も家庭も理不尽ばかり。貧乏な我が家に金がないことは知っていたし、私立への進学を希望したこともない。私は二次募集をしている公立高校の中で、同級生が入学しなさそうな、中学校から一番遠い学校を受験し、合格した。

父は面白くない。

本人は都立戸山高校から日大に進学したからなのか、私が名もない公立の新設校に入学したのがとにかく面白くなかったようだ。

中学時代、終業式の夜は、父の前に正座をさせられ、通知表についてあーだこーだと説教されるのが苦痛だった。父が何を言ったのか、まったく覚えていない。

高校に入学してからは、進学塾に行けと父にしつこく言われたが無視した。行く気もなかったし、授業料も高額だったからだ。我が家の経済事情で通えるとは思えなかった。幸い、高校での成績は三年間、トップクラスだったし、新設校で大学側にデータが無かったこともあり、結局、推薦で都内の国立大に進学した。

こんな高校時代だったから、三者面談もした記憶がない。進学については、担任から埼玉大への進学をやたらと勧められたが、断固として拒否した。埼玉県民はもういい。成増ですら東京だ。都内の私立に通う埼玉県民に「俺たち埼玉都民だしい。」などと言われるのも嫌になっていた。

とにかく、埼玉からも自宅からも出て行きたかった。

放任主義と言うか、子供任せと言うか、私には両親に進学先を相談する発想がなかったし、金がないから自宅から通える国公立大しか選択肢がなかった。そう言えば、私立に進学するなら家を出ていけと父に言われたのを思い出した。金が無いから私立には行かせられないとは言えなかったのだろう。この頃、父は今の私と同じくらいの歳だ。

うーん、理解できんな。子供みたいだ。

ただ、父は当時、仕事でいろいろと行き詰っていたのだろう。経済的にも苦しかった。気持ちに余裕がない人間は、無理筋を主張する。私自身も経験した。

もちろん、ハルハルの進学には興味はあるものの、余計な口出しはしたくない。金を出すのは中国富裕層の元妻だ。だからこそ、ハルハルから三者面談に来て欲しいと言われたら、行かないわけがないのだ。

「来週、授業参観だから来てね。」

小学生の頃のように、北京から電話されるのに比べれば、国内なのだからはるかに容易なことなのだ。