不登校に関するベストセラーが話題となって、改めて不登校について関心が高まっているらしい。
不登校は悪。
こう考えている人は、日本だけでなく、どこの国でも多数派だと思う。私の両親もそうであったし、中国人の元妻も同様だった。でも、学校って無理していかなければならないものだろうか。
私は小学校三年生から四年生の一年間と、中学校の三年間、いじめに遭った。小学校は地獄だった。学校に行きたくなくても、親は許してくれなかった。学校に行くのは当たり前だと。
ある夜、たまりかねて自分が学校でどんな目に遭っているのか、母親に話をした。聴いていた妹が、涙をボロボロとこぼして泣き始めた。
「お兄ちゃん、かわいそう!」
しかし、母は何も言わず、父はいつも同じことしか言わなかった。
「悔しかったら勉強で勝て!」
翌日もいつも通り、学校に行った。勉強を頑張っても、イジメがエスカレートしただけだった。両親には二度とイジメの話をしなかった。
中学校では、同級生だけでなく、先生にまでいじめられた。中学一年生の前期、ホームルーム委員を務めた。毎朝、ホームルームの時間に、みんなの前で担任に殴られた。理由はいろいろだ。プリントを取りに来るのが遅いとか、給食費を集めるのが遅いとかなんとか。
ある日、春の遠足があった。一年一組のホームルーム委員だった私は、全体の先頭を歩くことになった。学校から数キロ離れた沼にある公園が目的地だった。弁当を食べ終えてからだったろうか。ステージの前に生徒全員が集められた。先生たちがステージに上がり、生徒に向かって話し始めた。遠足の行程が予定よりも遅れているという。
私の名前が呼ばれた。
なぜ?
事態を飲み込めないままステージに上がると、おもむろに担任に殴られた。
「お前が先頭を歩くのが遅いからだ!」
担任は私を怒鳴りつけた。
理不尽だ。
公園だから生徒や教員だけでなく、一般の人たちもいる。 殴るなら遠足の実行委員長ではないのか?私に何の責任がある?引率の先生の後ろを歩いただけだ。たまたま一年一組のホームルーム委員なので、先頭を歩いてるだけだ。
林間学校はたまたま体調を崩して行かずに済んだ。医者から安静にしろと言われたのだ。すごく嬉しかった。
後期になって、ホームルーム委員は別の生徒に変わった。かわいそうに、彼も毎日、担任に殴られるんだと思ったが、担任はこう言った。
「俺は体罰をやめた。」
死ねばいいのに。本気で思った。
数年後、担任はガンで亡くなった。大勢の教え子が葬儀に訪れる中、私の姿がないことを同級生らが噂していたそうだ。
「やっぱりなあ、あいつ、来るわけないよなあ。」
亡くなったことを知らなかっただけだ。
もしも当時、「学校に行かなくていい」と両親が言ってくれたら、どれほど心が楽だったろうか。それでも私は学校に行ったと思う。だけど、いざとなったら行かなくていい、という選択肢があるのと無いとでは、気持ちの余裕にかなりの差があると思うのだ。
思い出した。中学生の頃は、学校にも行きたくなかったが、家にも帰りたくなかった。どちらも嫌いだったから。
自分の子どもをこんな目に遭わせたくない。
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)